ランド・オブ・ザ・デッド

監督:ジョージ・A・ロメロ

脚本:ジョージ・A・ロメロ

出演:サイモン・ベイカー、ジョン・レグイザモ、
デニス・ホッパー、アーシア・アルジェント、ロバート・ジョーイ

ストーリー

 人類とゾンビの数が完全に逆転してしまった時代。舞台はピッツバーグのダウンタウン。周囲を川に囲まれ、完全に外界から遮断された要塞都市。そこに聳え立つ高層ビル“フィドラーズグリーン”では快適な生活を約束されていた。だが貧富の差により、ビルに暮らせるのは僅かな上流階級の人間だけであり、貧しい人々はビルの足元で悲惨な暮らしを続けるほかなかった。

 傭兵チョロは上流階級に加わるために、島を支配しているカウフマンと取引をするが、あっさりと追い返される。復讐に燃えるチョロは戦闘装甲車デッドリコニング号をジャックし、搭載したミサイルでフィドラーズグリーンを吹き飛ばすと脅迫。それを止める為、カウフマンに雇われた元傭兵のライリーは、相棒のチャーリー、ゾンビ・グラディエーターでピンチを救った娼婦のスラックらを連れ、デッドリコニング号奪回作戦を開始する。 そんな中、ある1匹のゾンビが自我に目覚め、仲間と共に街へと向かっていた…

レビュー

 20年の沈黙を破り公開されたジョージ・A・ロメロのリビングデッド・サーガ最新作。一軒家、ショッピングモール、地下シェルターと、常に限定された密室を舞台としてきたこのシリーズであるが、本作はユニバーサル出資の大作ということもあり、周囲を川と柵に囲まれ絶対的な安全が保障されている(筈の)街そのものが舞台となっている。独裁者が牛耳る終末世界という点では「死霊のえじき」をよりスケールアップさせたような構造をとっており、これまでのシリーズのような息苦しさを感じさせる密室劇を期待していると大いに肩透かしを食らわされる。

 また、登場人物の個性が弱く、主人公のライリーは確かに男前であるが、「ゾンビ」のピーターほどの存在感があるヒーローとは言えないし、独裁者役のカウフマンも「死霊のえじき」のローズ大尉ほど憎たらしくなるような悪党というわけでもない。ヒロインのアーシア・アルジェントも、序盤のゾンビグラディエーターでセクシーな衣装でゾンビをグーパンチでブン殴る勇姿は、「デモンズ2」でゾンビに囲まれ泣き叫んでいた子役時代から見ると色々と感慨深いものはあるが、後半は肌の露出の低さもあり、ただそこにいるだけの没個性的なキャラになってしまった印象だ。

 しかし、その代わりと言ってはアレだが、本作ではゾンビサイドの個性がこれまで以上に凄まじく、どういうわけか妙にゾンビに肩入れした描写が多い。突如、自我に目覚めてゾンビ軍団を指揮する黒人のビッグダディ、バッドを手放さない野球少女のナンバーナイン、包丁をメインウェポンにする肉屋のブッチャー、そしてファンにも嬉しいのが「ゾンビ」でピーターに射殺された暴走族リーダーのブレイド様もマチェーテ片手に参戦。こんな連中が、「ゾンビ3」のゾンビ達も裸足で逃げ出しそうな団結プレイで襲い掛かってくるのだから世も末である。劇中、ゾンビに噛まれたある登場人物がこんな台詞を呟く。「ゾンビになるのも悪くはない」と。確かに、この映画の世界においては、貧しい生活を強いられる貧困層は勿論のこと、優雅な暮らしを約束されている富裕層さえもどこか空しさを感じさせる。むしろ全員で同じ目標の下、仲良く一致団結して進軍を続けるゾンビたちの方がずっと楽しそうだ。死者のような生者と生者のような死者。果たしてどちらが本当の人間と言えるのか?ロメロの痛烈なメッセージ性は本作でも一貫しているようにも見える。

 ロメロは常に自分の作品に、その時代のアメリカ社会を投影してきた。本作「ランド・オブ・ザ・デッド」では911後のアメリカ社会を描いている。余談であるが、2005年8月末、アメリカ南部を大型ハリケーン“カトリーナ”が襲った。被害の拡大や、大幅に遅れた復興の遅れの原因は人種差別や貧富の格差が挙げられている。まるで、この映画の世界そのものである。異常事態に露呈してしまうアメリカ社会の影。いつの時代にもロメロはそれを伝えようとしているのだ。

 

ここ数年で急激に父親に似てきたアーシア嬢

 

ゾンビいるところにサビーニ様あり。ニクイぜあん畜生!

 

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