室岡 弥生A

 次のバスが来るまで暫く時間があったものの、喪服のままで喫茶店に入るのは多少の抵抗があり、仕方がなく生羅は希美と2人で停留所のベンチに腰を掛けることにした。佐伯の葬儀には親族は勿論のこと、職場の同僚や友人などが多く参列し、家族を愛し、仕事にも前向きだった佐伯の突然の死に悲しみと戸惑いを隠せずにいた。特に、直前までメールのやり取りをしていたという佐伯の妻は見るに耐えないほど消沈しているのが分かり、生羅には掛ける言葉が見付からなかった。

「生羅、気付いてた?」
 
 隣で共にバスを待つ希美が口を開く。

「佐伯君は他の人たちと違って、みんなの記憶に残ってる」

 勿論、生羅は気付いていた。これまでとは法則が違う。雨の夜に五味に襲撃されたメンバーは、例外なく文字通り存在を抹消されていた筈だ。ところが、今回のケースは佐伯の遺体が存在しているし、他の人々も佐伯のことを覚えている。ほぼ同時期に襲撃されたと思われる喜多村が、完全にこの世から消えたこととは極めて対称的だ。

「きっと、佐伯君は五味君に襲われたけど、自分の意思でビルから飛び降りたんだと思う」

 生羅は自分なりの考察を希美に伝え始める。

「さっき、佐伯君のお母さんと、奥さんの会話を聞いちゃったんだけど、どうも奥さんは妊娠していたらしいの」

 驚きを隠せないのか、話を聞く希美の目が大きく見開かれた。

「佐伯君がいなかったことになったら、恐らくお腹の中の赤ちゃんもいなくなる。それを守るために、佐伯君は決断したのだと思う」

 そう、生羅は大事なことを忘れていた。これは決して自分1人の問題ではないということを。自分が消えてしまったら、同じ血を継ぐ娘の結依菜も存在が抹消されるのだ。

「それじゃあ、生きた証を残すには、自殺しか道がないってこと?

 今にも泣き出しそうな希美の悲痛な言葉に生羅は首を横に振る。

「残った私たちで戦うしかない。力になってくれそうな人が、同じマンションにいるの」

 今日の予報は曇り時々雨。急がなければ、自分と望美のどちらかが消えてしまうのだ。




 生羅はマンションのエントランスに入るなり、管理人室へと向かった。新聞を読んでいる初老の男性の姿をガラス戸越しに確認すると、軽く扉をノックする。入居してから2、3度挨拶を交わした程度の間柄であるが、人の良さそうな人間であることは分かっていた。

「何かありましたかな?」

 ガラス戸を開けて管理人が顔を出す。生羅は用件を簡潔に伝えた。このマンションに出入りしている視覚障害者の女性の情報だ。もし、入居者であるのなら名前と部屋番号を教えて欲しいということも。

「ああ、彼女はここの入居者ですよ。しかし、そこはやはり住人のプライバシーに関することですから、部屋番号まではお教えすることが出来んのですよ」

「そこを何とか教えて頂けませんか?実は以前、そこの公園で娘が転んで怪我をしてしまった時に、ちょうど散歩をしていたその女性から絆創膏を貰ったことがありまして。その時のお礼の品を直接渡したいんです」

 咄嗟にこんな出鱈目な嘘を口に出来る自分に嫌悪感を抱きつつも、生羅は管理人に懇願し、頭を下げた。管理人は大きな溜め息を吐き、首を横に振る。

「あなたのことを信用していないわけではないのですが、トラブル防止の為にもお教えすることは出来んのです。すみません」

 無理もない。彼は決して意地悪をしているのではなく、自らの職務を全うしているだけなのだ。何か別の手を考えようとしている時、突然、何者かに肩を叩かれた。振り返ると、ロングヘアーの見知らぬ女性、そしてサングラスに白ワンピースを着た、例の盲目の女性もそこにいた。

「始めまして。あなたの探してる女性は彼女のことかしら?」

 こんな偶然があるのだろうか。生羅は戸惑いつつも、一言「ええ、そうです」と伝え、ロングヘアーの女性をじっと見る。年齢が全く分からない。肌艶の感じでは自分より年下のようにも見えるが、妙に落ち着いた雰囲気もあって30代にも見える。

「あ、あの、立ち話も何ですし、私の部屋に来て頂くことは出来ますか?」

「勿論よ、尾張生羅さん。私たちも、あなたを探していたの」

 ロングヘアーの女性がニコッと笑う。何故、自分の名前を知っているのだろうかという疑問は深く考えないようにした。既におかしことばかり起きているのだ。今の状況を打破出来るのは、彼女たち以外にはいない。生羅は直感的にそう思った。

 


「自己紹介がまだだったわね。私は室岡弥生。彼女は同じ大学の後輩の前山香苗さん。彼女、ちょっとした事故で目が見えなくなってしまって。まぁ、それからずっと私は世話役みたいなものね」

 普段は旦那と娘の3人で食事をとるリビングのテーブルに、先程出会ったばかりの女性がいる。室岡と名乗った女性は、生羅の出したコーヒーを一口啜り、再び口を開く。

「私たちは、冥界を研究する組織に所属しているのだけれど、最近この町で非常に珍しい餓鬼の波動を観測したの。それで、恐らく関係者であるあなたと接触をしたってわけ」

 冥界を研究する組織とは、大学のオカルト研のようなものか、はたまた新興宗教の一種なのだろうか。あまりにも簡潔な説明だったので実態はまるで分からなかったが、いずれにせよ今の絶望的な状況を打破できるのならば、この2人に頼るべきだと生羅は判断した。

「じゃあ早速だけど、あなたのこれまでの体験を聞かせて。何かお困りなのでしょう?」

 いきなり核心を突く質問され、生羅は心臓を鷲掴みにされた気分になった。しかし、室岡や前山が何かを知っていることは明らかなので、生羅は包み隠さず全てを話した。同窓会を開催して以来、高校時代の剣道部のメンバーが1人ずつ、何故か決まって雨の降る日に消えていくこと。犯人は、かつて全員で「制裁」という名の暴行を加えたことのある五味という男なのではないかということ。そして、何故か全員が都合よくそのことを忘れていたことも。

「ふうん、なるほどね」

 室岡は薄ら笑い浮かべ、腕を組む。

「生き残っているメンバーは残り何人なの?あと、消されていく順番に心当たりはある?」

「残されたのは私を含めて2人だけ。順番に関しては…正直、ランダムとしか思えない気がします」

 生羅は考える。最初に顧問の内山田、次に伊口で、その後の喜多村と佐伯はほぼ同じタイミング。今のところ、男性陣のみが襲われている。何か法則性があるのだろうか。例えば、五味の恨みの深さに起因しているとか…。
 その時、寝室として使用している隣の和室から低い唸り声が聞こえ、生羅はギョッとしながら室岡と目を合わせる。室岡は沈黙を続けている前山の方へと向く。

「前山さん、反応は?」

 室岡が言うと、前山は首を横に振った。

「餓鬼じゃない。生きている人間」

 ガラッと襖が開くと、そこに現れたのは生羅の旦那の浩輔であった。

「ちょ、帰ってたの!?」

 慌てふためく生羅をよそに、浩輔は眠たそうに目を擦り、室岡と前山に笑顔で会釈をする。

「頭痛が酷くて、早退してきたんだよ」

 そう、彼は昔から偏頭痛持ちであり、特に気圧の低い日の顔色は最悪だった。いつもは痛み止めの薬を持ち歩いているのだが、今日に限って忘れていたのだろう。

「ただ、少し寝たら気分もよくなったし、ちょっくら買い物に行って、帰りに保育園で結依菜を迎えに行ってくるよ」

「大丈夫なの?」

「平気さ。ああ、狭いところですが、どうぞゆっくりしていって下さい」

 浩輔は室岡と前山に再び会釈をすると、そのまま玄関へと向かい、部屋を後にした。

「ハンサムな旦那さんね。とても優しそうだし」

 社交辞令なのは分かっていたが、悪い気はしなかった。

「じゃあ、話の続きに戻るけど、今日の天気が予報通りの雨だったら、あなたか、もう1人のお友達の前に必ず特殊餓鬼が現れるということね」

 聞き慣れない言葉を室岡が言うと、前山の体が僅かに身じろいだ。

「ヤツは今日、間違いなくここへ来る。遠いけど、微かに反応がある」

 前山が口を開くと、室岡はニヤリと笑みを浮かべる。

「彼女はね、目は見えないけど、餓鬼の位置を正確に把握することが出来るのよ」

 室岡が言っていることに、生羅の理解は追い付かなかった。

「そうね、どこから話そうかしら。ちょっと、長い話になるわ」

 室岡がコーヒーを一口啜る。

「全ての始まりは、とある高校で起こったわ。不思議な力を持つ少年が、学校の持つ意思を具現化させた。その結果、死体が歩き回り、生者を食らう事態が起きた」

 学校の意思の具現化。あまりに抽象的過ぎて、何とも呑み込みづらい話であったが、生羅が考える暇もなく、室岡は続ける。

「事態は収束したけれど、そのことがきっかけで、関東近辺では現実と冥界との距離が縮んだの。今度はとある大学の研究室で、地獄の門と呼ばれる穴が出現するようになったわ。教員のひとりがその穴を無理に拡張しようとしたせいで、再び死者が生者を襲う惨劇が起きた」 

 死者が生者を襲う…。今まさに自分たちが置かれている状況がそうだ。しかし、そんなことが現実に起きていたのだとしたら、今頃世間は大騒ぎのはずだが、生羅の記憶する限りでは、そんな低俗なホラー映画のような事件は無かった筈だ。

「信じられないかしら?でも、現実に起こったことなのよ。地獄の門は閉じたものの、一度は開いたことによって、現実と冥界との境界は更に曖昧なものとなったわ。恐らく、あなた達を悩ましている特殊餓鬼が現れた原因も、地獄の門の開放にあると考えられるわね」

「何か、対策はあるのでしょうか? 例えば、霊媒師にお祓いをしてもらうとか」

 室岡が小さく頷くと、椅子の横に置いてあった黒のハンドバックから何かを取り出し、テーブルの上に置く。長さ20センチほどの象牙色のそれは先端が鋭利な形に削られており、何かの儀式に用いる短刀のように見える。

これは今も冥界で戦い続けてる榊和美という少女からの贈り物よ。地獄に残ることを選択した彼女は、オニ化が進行していた自らの腕を切り落とし、地獄の門が閉じる直前に現世に腕を投げ込んだ。回収した腕は技術班によって骨刀として加工されたわ」

 室岡が淡々と語る最中、前山の呼吸が少し荒くなり、僅かに身じろぐのが生羅には分かった。何か、思い出したくないことでもあったのだろうか。

「恐らく、榊さんは全て分かっていたのよ。現世で死者が歩き回る現象が今後も多発するであろうことを。その対抗策を彼女は思い付き、自分の腕を切断した。餓鬼の最大の天敵であるオニから作られたこの骨刀こそが、彼を倒す唯一の対抗手段であるといっても差し支えないでしょうね
 
「じゃあ、あなた方がそれを使って五味君を永遠に葬ってくれると?」

 生羅の質問に、室岡は肩をすくめる。

「そうしてあげたいのは山々だけど、困ったことに特殊餓鬼は生前に恨みを持つ人間の前にしか現れないのよ」

 やはりそうか、と生羅は落胆する。もしかしたらこの骨刀とやらを、高額で買わせようという霊感商法なのだろうかと邪推しはじめた時、それを見透かすかのように室岡は微笑んだ。

「これは差し上げるわ。ただ、あなたにお願いがあるのよ。確かに、この骨刀を特殊餓鬼の頭部に突き刺せば、標的は消滅する。でも、私たちの目的は彼を捕獲し、研究対象にしたいと思っているの。そのためにも、あなたには骨刀を彼の頭部にではなく、胸を狙って刺してほしい。それだけで、特殊餓鬼は無力化し、私たちにも観測可能になるというのが組織の見解よ」
     
 そう言って、室岡はテーブルの上に置かれた骨刀の横に、携帯電話の番号が書かれたメモを並べる。

「無力化できた時点で回収班が向かうから、すぐに連絡を頂戴。勿論、報酬はお支払いするわ」

 何という無茶ぶりだろうか。何人も仲間を消し去るほどの力を持った五味の懐に飛びこみ、刃渡り10センチほどの刃物を突き刺すのは相当な勇気のいることだ。それも、生きたまま捕獲しろという。しかし、今の生羅には選択の余地は無かった。五味の対抗手段が見付かった。それだけでも大きな前進だ。

「…分かりました。早ければ、今日中にでも決着をつけます」

 メモをポケットにいれ、骨刀を右手で握りしめると、生羅は椅子から立ち上がる。ベランダを隔てる窓まで歩き、カーテンを開けると、夕日をどす黒い雨曇が飲み込んでいくのが見えた。

「終わらせる。この馬鹿げた部活動を」

 生羅はそう呟くと、骨刀を更に力強く握った。それは生羅の意思に呼応するかのように、小さく脈打っているようにも感じられた。

 

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