内山田 剛
生羅の記憶が確かであるのなら、最後に剣道部の同期が全員で集まったのは成人式の日だった。あの頃は高校の卒業からそう何年も経っていなかったし、メンバーの何人かとはメールでのやり取りも今よりは頻繁にしていたので、懐かしい友人と再会するという感覚はなかった。だが、大学生活という名のモラトリアムがあっという間に終わりを告げ、光陰矢の如しである社会人としての日々の中では彼らとも次第に疎遠になっていき、その間に職場での恋愛、結婚、そして出産という人生においての大きな転換期も迎えた。 「生羅?」 ふいに後ろから声を掛けられ、生羅は振り向く。望美…なのだろう。最後に会った時よりもかなり垢抜けており、髪型はパーマのかかったセミロングで、着ている服も恐らくブランド品と思われる物で固められている。辛うじて、丸いくりくりとした目からかつての面影が感じられた。 「やっぱり生羅だ!久しぶりだね!うわー、本当に久しぶり!元気だった!?」 駅にいる誰よりも大声ではしゃぎ出す、変わり果てた望美の姿に動揺を隠せないまま、生羅も笑顔でそれに応じた。その後、開催場所の居酒屋に向かうまでの道のりでも望美のおしゃべりは止まらず、生羅の結婚式に行けなかったことを詫びたり、娘は今いくつであるのかを聞いてたり、美容師の仕事は大変だけど同僚の若い男が有名なフィギュアスケーターに似ていて可愛いなどといった他愛もない話を矢継ぎ早に喋り続け、気が付いたら居酒屋の入ったビルに到着していた。 「お待ちかねの女性陣が到着だぞ!」 途端に拍手が巻き起こり、生羅と望美は盛大に迎えられながら席に着く。誰もが、望美の変わりように驚いているのが分かった。まず、生羅は隣にいる顧問の内山田と挨拶を交わした。あの頃よりも白髪は増えており、何だか丸くなったような印象である。 「子供は今いくつになったんだ?」 あの頃には滅多に見せなかった笑顔で内山田が言うと、生羅は「2歳半になりました」と返し、第一次反抗期に入って手を焼いていることを告げた。同じく子育てを経験した内山田は色々と思うことがあったのか、「第二次に比べれば可愛いものだ」と豪快に笑った。 「良いなぁー、あたしも子供欲しい」 望美が羨ましそうに言うと、副主将の伊口が突然手を上げて立ち上がる。 「俺で良ければ力になるけど」 「ごめん、ホント無理。生理的に」 容赦なく言い放つ望美に周囲が笑いに包まれる。彼は昔からムードメーカーであったが、それは今でも変わらないようだ。その後、物静かなおかっぱ少女から変貌を遂げた望美についての話題が中心となり、高校時代、望美が密かに喜多村に思いを寄せていたこと、けれど今こうして再会を果たした喜多村に対しては特に何の感情も沸いてこないことなどの爆弾発言で生羅たちは大いに盛り上がった。 「というか、そろそろ乾杯にしませんか?」 それまであまり積極的に発言をしなかった佐伯の言葉に全員が我に返る。喜多村も店員に飲み放題コースのスタートを告げ、すぐに人数分のビールが運ばれてきた。全員にジョッキが行き渡ると、顧問の内山田が立ち上がる。 「今日こうしてみんなに会えたことを嬉しく思う。あの時、廃部になっていた笠内高校の剣道部を復活させた君たち6人には感謝をしてもしきれない」 内山田がしみじみと語り出す。当時、部員がひとりも居なかった剣道部を復活させたいと言い出したのは喜多村だった。喜多村の熱心な呼びかけで、生羅を含む剣道の経験者が集まり、内山田の元に6人のメンバーが集まった。6人…いや、確かに今ここにいるメンバーは6人であるが、それは顧問の内山田を含めてのことだ。内山田が「6人」と言ったのは、思わず自分も頭数に入れてしまったのだろう。 「それでは、笠内高校剣道部13期生の末永いご健勝とご発展をお祈りいたしまして、乾杯!」 「ねえ、喜多村君。同窓会の連絡を入れたのは、これで全員なの?」 生羅は思い切って向かいの席にいた喜多村へ疑問を投げかける。喜多村はきょとんとした顔をしながら「そうだけど」と答えた。 「俺もさっき思い出したんだが、五味には連絡してなかったのか?」 ばつが悪そうに内山田が言うと、生羅の脳裏に巨体で細目をしている男子の姿がよみがえる。そうだ、確か五味という名前だった。みんなも同じ心境だったのか、懐かしさのあまり溜め息にも似た声が上がる。 「ああ、そう言えば連絡するのを忘れてました」 喜多村が少しも悪びれた様子もなく言うと、隣にいた伊口も苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。 「誘わなくて正解だろ、あんな奴。須永や尾張も、あいつにされたことを忘れたワケじゃないだろ?」 突然、話題を振られて生羅は困惑した。五味という男子が自分に何かをしたのだろうか。その思考を遮るように、突然ジョッキを乱暴に置く音が響く。望美であった。 「アタシは覚えてる。絶対に、死んでも忘れないんだから」 恨みのこもった目で望美は続ける。 「みんなが様子を見に来てくれたから助かったけど、あの時、アタシ1人だけだったらと思うと…」 そうだ、と生羅は思い出す。あれは確か、あの町で記録的な大雨が観測された日のことだった。部活を終えたみんなが駅のホームで電車を待っている時、望美は携帯電話を部室のロッカーに忘れたことに気付いた。生羅は一緒に戻ることを提案したが、望美は大雨の中付き合わせるのは悪いから電車を一本見送って待っていてほしいと生羅に告げ、学校へと駆け足で戻っていった。 「あの事件のすぐ後だったな、五味が転校したのは」 気まずい沈黙を破ったのは伊口だった。そう、五味はその後、両親の仕事の都合で転校したのだ。部活は即座に退部させられたものの、同じ学校にいる限りは絶対にいつかは五味の顔を見ることになる。そのことを恐れていた生羅は、彼の転校に随分とホッとさせられたものだった。 「そういえばどこに引っ越したんだ?アイツ」 生羅がちょうど疑問にしていたことを喜多村が口にする。誰も答えを知らないのか、再び沈黙が続いた。 「あー、確かアッチの方だったろ。宮城の海沿いの町だ」 メニューを見ていた内山田が素っ気なく言うと、卓上の店員を呼ぶブザーを押した。すぐに来た店員に向かって再び人数分のビールを注文する。 「もうこの話はよそう。酒が不味くなってかなわん」 内山田はジョッキの三分の一ほど残されていたビールを一気に喉へと流し込んだ。そうは言っても、最初に五味の話題を振ったのは内山田自身だということを忘れてしまったのだろうか。生羅は何か腑に落ちないものを感じつつも、新たに運ばれてきたビールを口にする。正直、2杯目はビールよりもチューハイが飲みたかったとも思った。 「そういえば喜多村君はまだ消防士さん続けてるの?」 望美の質問にアルコールが入り、少し顔が紅潮している喜多村が「そうだよ」と答える。 「実際に火事の現場とか行ったことあるの?」 生羅も望美に乗っかり、喜多村に質問をぶつける。その後、飲み会はそれぞれの職業についての話題が中心となり、生羅はみんなの近況を知ることが出来た。 「結婚してるのは尾張だけか」 伊口が言うと、佐伯が遠慮がちに手を挙げる。 「あの、僕も結婚してます」 佐伯の発言に生羅を含む全員が驚嘆の声を上げた。高校時代は浮いた話のひとつもない、奥手キャラだった佐伯が人知れず結婚をしていたことは一同を大いに驚かせた。 「っていうかお前、そんな大事なことを何でみんなに連絡しないんだよ」 伊口の突っ込みに、佐伯は申し訳なさそうに「ごめん」と一言。 「ほら、僕ってイマイチ影が薄いから、誰も覚えていないかなー、なんて思っちゃって」 遠慮がちに言う佐伯に、「俺たち仲間だろー」と乱暴に彼の頭を小突く伊口。照れくさそうに笑う佐伯。彼のことは誰も忘れていなかった。本当に私たちが忘れていたのは五味の方だ、と生羅は思った。五味は、今どこで何をしているのだろうか。津波に飲まれ、未だ見つからぬ行方不明者の1人になっているのだろうか。五味。望美に酷いことをした五味。彼の生死など知ったことでは無いというのが本音であったが、それでも生羅の脳裏からは五味の姿が離れなかった。
「そろそろお開きにしようか」 そう言い出したのは内山田であった。生羅も、こんなにお酒を飲んだのは本当に久しぶりのことであった。明日はきっと二日酔いに襲われることになるだろうし、事前に有給休暇を申請しておいたのは正解であった。会費を多めに出してくれた内山田に全員でお礼をし、幹事である喜多村が会計を済ませる。 「また、みんなで飲みたいね」 望美の言葉に全員が頷く。色々と思い出したくもないこともあったが、生羅は飲み会の最中は高校時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚え、そしてそれはとても楽しいものでもあった。また、機会があればこのメンバーで集まりたいと思った。 「悪い、ちょっとトイレに行ってくる」 そう言って、内山田は再び店内の奥へと消えていった。少し外の空気を吸いたかったこともあり、生羅は男性メンバーを残し、望美を連れて先に外へと出ることにした。 「イヤなこともあったけど、あたし、あの部活で過ごした日々は大切な宝物かも」 酔いが回っているせいなのか、望美が突然恥ずかしい台詞を言い出した。我慢できずに吹き出す生羅の肩を望美が軽く小突く。 「ちょっとー、笑うことないでしょ。それよりこの雨、何だかあの日に似てるね」 「その話はもう良いってば」 「ううん、違うの。あたし、自分でも信じられないんだけど、あんな目にあったのに忘れてた。さっきは“一生忘れない”なんて言ってたけど、本当はあの時のこと、完全に記憶から抜け落ちてたの」 そう言う望美の目は涙で潤んでいた。それは、高校時代に生羅がよく見ていた目。練習がきつくてイヤになった時、試合に負けた時、望美はよくこんな目をしていた。 「きっと、神様が忘れさせてくれたのかもね。辛い思い出を」 「恥ずかしい台詞」 ぼそりと言い放つ望美の肩を、今度は生羅が小突いた。見た目や性格は変わっても、今ここにいる望美は高校時代に共に青春を過ごした望美にほかならなかった。 「楽しそうなところ悪いんだけど、内山田先生を見なかったか?」 後ろから現れた伊口が2人に言った。内山田はトイレに言った筈では無かったのかと言う望美に、伊口は首を横に振る。 「それが、あまりに遅いから心配になって見に行ったんだが、トイレにはいなかったんだ。今、喜多村と佐伯が店内を探してる」 伊口が言い終えると、喜多村と佐伯の2人もエレベーターから降りてきた。 「ダメだよ。どこにもいない。店員にも探してもらおうとしたんだけど、そもそもあの席で飲んでいたのは5人の筈だと言い張って全く取り合ってもらえなかった」 佐伯が疲れきった顔で言った。隣にいた喜多村は何やら深刻な表情で手に持ったスマートフォンを操作している。そうだ。幹事である喜多村なら内山田と連絡をとっていた筈だし、電話番号も知っている筈だ。 「喜多村君、連絡も付かないの?」 生羅の問いかけにも応じず、喜多村はスマートフォンの画面をただ無言で凝視していた。そんな彼のただ事では無い雰囲気を察したのか、伊口が喜多村の握りしめているスマートフォンを強引に奪う。 「おい、喜多村。何か言えよ」 「…無いんだよ」 「え?」 「無いんだよ、内山田先生の連絡先が。電話帳からも発信履歴からも、何故か先生の番号だけが消えちまってるんだよ」 喜多村が青ざめた表情で言うと、伊口も喜多村のスマートフォンを操作し、それを確認する。 「知らない内に自分で消しちまったとかじゃないのかよ」 「そんなことをした覚えは無いし、特定の人物のメモリーだけ消えるなんて不具合、聞いたことも無い。こんなバカげたこと、言いたくも無いが…」 喜多村は伊口の手からスマートフォンを取り戻し、ズボンのポケットに入れると、自嘲気味に笑いながら言葉を繋げる。 「内山田剛なんて人間は、最初から存在しなかったのかもしれないな」 その時、地の底からわき上がるような低い呻き声が、雨音をかき消すかのように響き渡る。生羅はその声を、今日と同じような豪雨の日に聞いたような気がした。 |
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