6時限目 〜決壊〜 

 研究室の壁から一筋の赤い光が伸びた。これが古池の言う、地獄の門なのだろうか。

 

「ほら、見たまえ諸君、地獄への門が開いたぞ!」

 

 1人興奮する古池。香苗は冷静な頭で、きっと壁にLEDでも埋め込まれているのだろうと推理するが、他のゼミメンバーは全員席から立ち上がり、その光景を食い入るように眺めていた。

 

「もっとだ!私にもっと、地獄を見せてくれ!」

 

 古池が白衣から何かを取り出す。ハンマーだ。握ったハンマーを古池は高く振りかざす。何か、何かとてつもなく嫌な予感がしていた。

 

「先生!」

 

 香苗は古池の暴走を止めようと叫ぶが、何かに取り憑かれたような古池は赤い光の漏れている壁に向かってハンマー降り降ろした。その瞬間、部屋全体が激しく揺れる。戸棚のティーカップは全て床に落下して破片をまき散らした。

 

「おい、何かヤバくないか?」

 

 磯部も只ならぬ雰囲気を察したのか、荷物を持って部屋から出ようとしていた。

 

「これ以上は付き合いきれない。みんな、帰るぞ」

 

 磯部が促すと、ゼミメンバーがそれぞれの荷物を持って部屋から出ていった。香苗もそれに続こうとしたが、詠子が地獄の門にフラフラと近付いていくのを見て、その腕を強く掴む。

 

「詠子、帰るよ」

 

「地獄の…地獄の門が…」

 

「詠子!」

 

 香苗は怒鳴りつけ、詠子を引きずるようにして研究室から出る。古池が再びハンマーを壁に叩きつけると、A棟全体を突き上げるような揺れが襲った。香苗は立っていられずに廊下にもたれ掛かる。

 

「クソ、エレベーターが動いてねえぞ」

 

 竜崎がエレベーターのボタンを拳で何度も叩いているが、反応が無い。来るときは使えたのに…この得体の知れない揺れが原因か。

 

「非常階段を使おう。こっちだ」

 

 磯部が先頭を切って走り、みんなそれに続く。揺れは収まったが、香苗が思うにこの直下型の地震は、古池がハンマーで研究室の壁…地獄の門を殴打するのに呼応して起こっている。いつ、また揺れが発生するか分からない状況で、7階から1階まで階段で降りるのはあまり気が進まなかったが、残念ながらそれ以外に外に出る方法は無かった。

 3階の踊り場に到着した所で、今までで最大級の地震が起こった。思わず全員がその場に立ち止まったが、磯部に促されて階段を無我夢中で駆け降りる。

 

「早く建物から出るんだ!」

 

 磯部が叫ぶ。詠子の手を握りしめながらガラス扉に体当たりをし、磯部、竜崎に続いて外に飛び出した。揺れは収まらない。外にはパトカーが止まっていて、その両側に警官2名がへばり付いている。更にその横には警官の制服とは違う、恐らく警備会社の社員と思われる人間も2人いた。ふと、後ろでパタンという男を聞き、香苗は振り返った。咲だ。咲が、アスファルトの地面に横たわっていた。

 

「咲!?」

 

 香苗が叫ぶよりも先に、警官がこちらに走ってきたが、その警官も急に地面へと俯せに倒れ込んで、動かなくなった。何が起こっているのか把握出来ずにいると、今度は目の前にいた竜崎が仰向けに倒れる。

 

「ねえ、詠子…これは何?」

 

 香苗は助けを求めるように、自分と手を繋いでいる詠子に向かって呟く。詠子は相変わらず茫然自失の状態であった。警備員の若い男が、もう1人の年配の男に寄り掛かるようにして意識を失った。

 

「柏木、おい、どうした」

 

 柏木と呼ばれた男は頬を叩かれても反応しない。揺れは収まるどころか、ますます強くなっている。五木、竜崎、磯部、警官と順番に昏倒し、香苗は年配の警備員の男と目が合う。

 

「懐かしいぜこの感じ。3年前と同じだ」

 

 警備員は不気味にニヤリと笑うと、大の字になってゆっくりと仰向けに倒れ込んだ。

 

「ねえ、詠子…一体これは」

 

 香苗は再び詠子に訪ねる。詠子はこちらを見て、震える唇を開いた。

 

「決壊が始まった。私たちは、生きながらにして死者になる」

 

 詠子が香苗と手を繋いだまま、両膝を地面にペタリと付いて動かなくなった。香苗は詠子から静かに手を離し、地震によって激しく車体を上下させている無人の赤いスポーツカーに目をやった。唐橋は何処に行ったのかと考えていると、スポーツカーが突然視界から消えた。いや、違う。自分が仰向けに倒れているのだ。アスファルトに後頭部を強打したのだろうが、まるで感覚が無い。

 ぼんやりとした意識の中で見えるのは、先程まで自分たちがいたA棟。まるで、アルミ製の空き缶を片手で握り潰したような歪な形に変形している。物理学的に言えばとうの昔に倒壊している筈の建物の中央部よりやや上、そこに黒い巨大な渦巻きが発生していた。キャンパスの敷地内にある建物や樹木、そしてアスファルトの地面までもが、次第にその渦に向かって吸い込まれていくスペクタクルな光景を見たのを最後に、詠子は静かに瞼を閉じていた。

 

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