4時限目 〜記録〜 

ガードセンターより2号車どうぞ」

 

 柏木の右耳イヤホンから女性オペレーターの声が聞こえた。滅多に無いガードセンターからのコールに、柏木は緊張した面持ちで腰に装着していた無線機のボリュームを少し上げた。

 

「こちら2号車、どうぞ」

 

 駒沢が応答する。

 

「黄泉川大学、研究棟入り口のガラス扉にて侵入警報を確認。至急現場にて確認願いたい」

 

「2号車了解」

 

 駒沢が交信を終える。

 

「どう思うよ、柏木」

 

 いきなり問いかけられ、柏木は寝不足の頭を急回転させて考える。過去の経験から言って、十中八九は誤報だろう。

 

「あの大学、確か24時間常駐の守衛が居ましたよね。巡回中の操作ミスと考えるのが妥当じゃないでしょうか」

 

「ガードセンターより2号車どうぞ」

 

 再びガードセンターの女性オペレーターから無線が飛ぶ。何だか世話しない夜勤である。今度は柏木が無線のマイクを口元に当てた。

 

「2号車です」

 

「あ、あ、柏木さんですね!度々すみません。先程の警報は常駐隊員による操作ミスとの確認が取れましたが、念のため現場での確認をお願い致します。本当に申し訳ありません」

 

「2号車了解しました」

 

 交信終わり。結局予想通りという訳か。柏木は少しホッとした様子で駒沢に顔を向ける。

 

「やっぱりでしたね」

 

「おいおいおい、ちょっと待て。お前、今おかしいと思わなかったか?」

 

 何か重要な点を聞き逃していたかと柏木は真剣に考えるが、皆目見当が付かなかった。誤報は誤報でも、現場での確認は鉄則だ。

 

「俺とお前で、明らかにオペレーターの態度が違っていただろうが!何が“あ、あ、柏木さんですね!”だ、あのクソアマ。もう金輪際お前には無線は取らせねえ」

 

 よく分からないが駒沢が車内で暴れまくっている。まるで覚えが無かったが、本当にそこまで態度が違っていたのだろうか。

 

「知りませんよ、そんなの。それより、ハンドルちゃんと握ってくださいよ。事故りますよ?」

 

「うるせえバカ。どこまで鈍感なんだテメエは」

 

 駒沢が悪態を付くと、アクセルを強く踏んだ。どう考えても法定速度オーバーだ。規則にうるさいサージはどこに行ったのだろうか。

 

「頭来るぜ、チクショウめが。お前、夜勤終わったらちょっと付き合え。行きつけの良い店があるんだが、立てないくらいに潰してやる」

 

 この慢性寝不足状態で酒なんか飲まされたら本当に死んでしまう。それはちょっと勘弁して欲しいのだが、鬼のサージが飲みに誘っているのだから断る術などない。柏木は、つい1時間前までの気まずい雰囲気など忘れ、「あまり気が進みませんけど、分かりました」と小生意気な返答をした。この夜勤、思っていたよりも楽しめるかもしれない。

 

 

 

 香苗が研究室に入ると、部屋の中央に置かれた机を囲むようにしてゼミメンバーが座っていた。すかさず竜崎が「おせえよ」と悪態をつく。

 

「みんなに迷惑掛けんなよな」

 

「生憎、暇じゃないの。バイトもしないで未だに親のスネかじって生活してる竜崎には分からないでしょうけどね」

 

「まぁ何はともあれ、皆さん揃って良かったですよ」

 

 窓際から外を眺めていた古池がクルリと振り返る。手にはテレビのリモコンが握られていた。

 

「君たち、今日は本当に集まってくれてありがとう。時間が無いので、まずはこのビデオを見て欲しいんだが」

 

 普段はマイペースな古池が早口で言い終えると、手に持っていたリモコンで、入口のすぐ横に設置されているテレビの電源を入れる。香苗は詠子の隣の席に座り、バカバカしいと思いながらもモニターに注目した。見たら1週間で死ぬ呪いのビデオでも見せる気なのだろうか。

 

「これは昨日、私が撮影したものだ」

 

 モニターに映し出されたのは暗視モードで撮影された映像だった。そこは、香苗たちが今いる古池の研究室であったが、電気は消灯されていた。画面の右下には23:59と撮影時の時間が表示されている。

 

「もうすぐだ、もうすぐ」

 

 ビデオの中の撮影者、古池が興奮を隠せない様子で呟いた。手持ちで撮影しているカメラの視点も何やら落ち着かない。右下の数字が00:00になると、研究室の壁から白色の細い棒が出現した。

 

「ひ、開いた!」

 

 モニターの中の古池が意味不明なことを叫ぶと、カメラの暗視モードが解除される。白い棒に見えた物は、壁から照射されているレーザーポインタのような赤い光であった。グラグラと揺れるカメラが壁に近付いていく。穴だ。赤い光は、壁に空いた小さな穴から漏れている。カメラは赤一色に包まれながら、その穴に向かって近付いていく。次の瞬間、画面いっぱいに広がる赤色の世界から、苦痛を堪えるような男性の顔が大写しになり、この世の者とは思えぬ唸り声と共に大口を開いた。モニターの中の古池が小さい悲鳴と共に壁から凄い勢いで離れ、カメラは急に天井を写し出す。推測するに、腰を抜かしてカメラを床に落としてしまったのだろう。慌ててカメラを拾い、再び壁を写した時には赤い光は消えていた。そこで録画は終わり、モニターは暗転。古池がリモコンでTVの電源を落とした。

 

「どうかね?」

 

 どうかね?と問われても答えようが無い。香苗にはまるで意味が分からなかったからだ。席に座っているゼミメンバーに視線を移すと、みんな唖然としているようであった。ただ、突拍子もなく画面にアップで写された男性の顔と唸り声に驚いたのか、五木の眼鏡はずり落ちていたし、竜崎に至っては飲み掛けの缶ジュースを机にこぼした痕跡があった。それはいくら何でも驚き過ぎだろう。

 

「どうかね?五木君」

 

 誰も質問に答えないので、古池は五木を指名する。五木は暫く考える素振りをした後、ずり落ちた眼鏡を指で直して腕を組んだ。

 

「良く出来たフェイク・ドキュメンタリーですね。パラノーマル・アクティビティよりはビックリしましたよ」

 

 五木が素っ頓狂な答えをすると、古池は残念そうに首を横に振る。

 

「五木君、これはフェイクなどでは無い。真実の記録だ。そうだな、増渕さんならこのビデオの意味が分かるだろう」

 

 詠子が?香苗は呆然としている詠子の顔を見ると、彼女の震えた唇が僅かに開かれた。

 

「地獄の、入口じゃないでしょうか」

 

「そうだ!」

 

 古池が詠子を指差し、いかにも「正解!」というリアクションをする。全く以て意味の分からない授業である。

 

「“この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ”世界各地には、現世と冥界を繋ぐ地獄の門の存在が確認されている。我が国日本でも、富士の青木ヶ原樹海での目撃例があったらしいが」

 

 そんな話は初耳であるが、まさか黄泉川大学のキャンパスもその入口の1つというワケか。確か、詠子からそんな話を聞いたような気もする。

 

「偶然か必然か、その入口は私の研究室にも現れた。深夜0時、約3分間に渡って開放されることが分かったが、そのチャンスも長くは続かない」

 

 一体何のチャンスだというのだ。段々聞いているのもバカらしくなってきたので、香苗はとっとと唐橋の元へ戻りたかった。

 

「移動するのだよ、地獄の門は。これまでの例から言えば、門が開かれるチャンスは後2回しか訪れない。それはつまり今夜と、明日の2回だ」

 

 香苗はくだらないと思いつつも自分の腕時計を見た。23時50分。電波時計なので時間は正確な筈。他のゼミメンバーも全員携帯電話などで時間を確認していた。

 

「仮に地獄の門があったとして、それが何でこんなボロい大学のキャンパスなんかに?」

 

 磯部がもっともな質問をするが、“ボロい大学”は言い過ぎだろうと思う。

 

「アメリカ南部のルイジアナ州にあるボロいホテルにも地獄の門があったからね。別に不思議じゃないよ」

 

 自信満々で答えたのは五木だ。どうせ、どっかの悪趣味な映画で得た知識なのだろう。

 

「どうせだったら天国の門を発見してほしかったなぁ」

 

 竜崎が暢気に発言すると、古池が声を上げて笑った。それより、香苗が不思議で仕方が無かったのは、死後の世界が存在することを前提で会話が進行していることだ。「生前に悪行をすると地獄へ行く」というのは、詰まるところ「反社会的な行為はするな」という戒めの意味を込めて生者が作り出した方便なのではないか。香苗は場の空気を読まずに、研究室にいる全員に向かって口を開く。

 

「というか、そもそも天国とか地獄なんて存在するの?死んだら脳への信号が絶たれてそこでジ・エンド。死後の世界なんて、ただの空想の産物なんじゃない?」

 

「しかしながら、生者である我々にそれを確かめる術は無いのだよ」

 

 言われてみれば確かにそうなので香苗は反論するのをやめたが、竜崎が「夢の無いヤツだな」とボヤいたのは聞き逃さなかった。

 

「さっきのビデオの顔面ドアップで人一倍ビビってたのは誰だったっけ?竜崎、アンタ知ってる?」

 

「さっきのあの顔…誰なんですか、あの人は」

 

 香苗が竜崎に攻撃を仕掛けたところで咲が割り込み、古池に質問をした。

 

「あれは生前に悪い行いをした罪人だ。鬼による終わり無き拷問を受け続け、精神は完全に崩壊している。口を大きく開けているのを見たと思うが、あれは恐らく私を食べようとしていたのだな。満たされることの無い食欲、究極の飢餓感のみによって突き動かされる生きた屍だ」

 

「それってつまりゾンビ?」

 

 五木が眼鏡の奥の瞳を輝かせながら言った。何故か嬉しそうである。

 

「ゾンビか。正確には餓鬼といったところだが、君の好きなように呼びたまえ」

 

 五木が「リアルゾンビだ、やったー」と少年のように喜んだ。相変わらずよく分からないキャラである。

 

「さて、時間が近付いてきたな。磯部君、部屋の電気を消してくれないか」

 

 入口近くに座っていた磯部が立ち上がる。古池は先程のビデオで撮影されていた壁に近付くと、そこに貼られていたカレンダーを外した。現れたのは鉛筆ぐらいの太さの穴で、薄い壁を貫通して数年前から使われていない隣の研究室の様子がよく見えた。今は空き部屋となっているから良いものを、これで隣に女性教授が勤めていようものなら古池は完全に覗き趣味の変態のレッテルを貼られて懲戒免職処分であろう。磯部が電気を消すと、研究室は真っ暗になった。

 

「さあ、君たちに地獄を見せよう!」

 

 古池が高らかに宣言する。時刻は23時57分。世界一受けたくない授業が、今始まろうとしていた。

 

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