3時限目 〜心傷(2)〜 

 車内のラジオが23時の時報のアナウンスをしていた。柏木は腕時計に目をやると時間が3分程ずれていることに気付いたので、時報の音に合わせてボタンを操作し、誤差を無くした。就職祝いに父親から買ってもらった安物であるが、柏木はこのシンプルなデザインが気に入っていた。

 ラジオは3年前に起こった大災害の犠牲者を偲ぶ重苦しい特別番組が流れていた。山雛高等学校ガス災害事故。

 

「おい、ラジオ消せ」

 

 運転中のサージが目も合わせずに言う。自分で消せば良いじゃないかとも思ったが、沈黙に耐えきれずにラジオのスイッチを入れたのは自分なので柏木は渋々ラジオをオフにした。

 

「3年前」

 

 驚いたことに柏木は自分からサージに話題を振っていた。聞いてもらう気などは最初から無かったのだが、ラジオの追悼番組を聞いて、あることを思い出したのだ。

 

「俺、まだその頃学生で喫茶店でバイトしてたんですけど、年下の気の合う奴が山雛高校に通ってたんですよね」

 

 こんな大事なことを今まで忘れていたとは。いや、記憶を脳の片隅にある箱に閉じこめ、自ら鍵を掛けていただけなのかもしれない。アイツとは本当によく遊んでいた。

 

「そうか…」

 

 サージの眉間に皺が寄る。辛気くさい話をしたことによって気分でも害してしまったか。そこから再び長い沈黙が続いた。

 

「お前、あー…名前」

 

「柏木です」

 

「柏木、アレが事故じゃないと言ったら、お前さん信じるか?」

 

 サージ自らが沈黙を破ったので、柏木は少々面食らった。確かにあの事故には諸説あるが、そのほとんどがオカルトじみた話であった。なかでも柏木の興味を惹いたのは、ある新興宗教団体が校内を占拠し、怪しげな儀式の為に生徒、及び職員を生贄に捧げたという説であった。

 

「カルト教団の話ですか?あれが1番怖かったですけどね」

 

「そんなものただの噂だろ。あれはな、怪物の仕業なんだよ」

 

 怪物?そういえばそんな説もあったか。あの地に生息するUMAが生徒たちを喰い散らかしたという話だが、サージがそれを信じているとは恐ろしく意外であった。というか、UMA説も宗教説と同じ、ただの噂ではないか。

 

「怪物ッスかぁ」

 

 失礼を承知で柏木は苦笑した。もしかしたら、サージはただ単に自分をからかっているだけなのかもしれないと思っていた。

 

「それもたった1匹の怪物だ。そいつに、あの学校の生徒や職員、そして俺の部下たちも」

 

 部下とは誰のことだろう。柏木は気になって仕方が無かったので、以前から気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。

 

「サージさん、じゃなかった、えーと」

 

「駒沢」

 

「すいません、駒沢さんはこの会社に入る前はどちらに」

 

「警官だ。SATにいた。俺はな、柏木…」

 

 車が赤信号で停車すると、駒沢がゆっくりと柏木に顔を向けた。

 

「俺は、あの地獄から生還した唯一の生存者なんだよ」

 

 駒沢がニタリと不気味な笑みを浮かべた。夜勤は始まったばかり。この先、駒沢と長時間同じ空間に居ることが柏木には酷く憂鬱に感じられた。

 

 

 

23時半を回ってしまった。もう皆、学校に入っているのだろうか。

 香苗が携帯電話で時間を確認した直後に着信音が鳴った。詠子からだ。運転席の唐橋に「ごめん、電話」と告げ、通話ボタンを押す。

 

「香苗?今どこにいるの」

 

 心なしか元気の無い声が聞こえた。

 

「もうすぐ着くから待ってて。みんなも一緒なの?」

 

「ずっとカラオケでご飯食べたりしてたから」

 

「カラオケ?詠子が?めっずらしい〜」

 

 言い終えてハッとする。みんなとカラオケ、それも食事までして、詠子の体調は大丈夫なのだろうか。あの病気は確か…

 

「大丈夫だから心配しないで。それより、もう先生も来てて完全に香苗待ち。だからなるべく早く来てね」

 

 そんなに急かされても、運転をしているのは唐橋なのだからどう仕様もない。あと3分で到着する旨を告げ、香苗は電話を切った。

 

「こんな時間に学校なんか行ってどうするの?」

 

 唐橋が至極真っ当なことを尋ねた。どうするかなんて、こっちが聞きたいくらいなのに。

 

「さあ。サッパリ分からないけど、大切な友達が心配だから、行くしかないの」

 

「友達思いなんだ」

 

 唐橋が口元に手を当ててクスッと笑った。まるで少女漫画に登場する美男子キャラだ。どこか、こんな顔のアイドルが男だらけの有名な芸能事務所に居た気がした。

 

「前山さんってさあ、彼氏とかいるの?」

 

 随分ストレートに聞いてきたが、唐橋が相手だと不思議と無礼な印象は無かった。香苗は「居ない、けど欲しい」と苦笑して返答する。

 

「俺たち、付き合っちゃおうか」

 

 これまた随分とストレートに告白してきたものだ。いや、待て待て、今、この男はアタシに告白したのか?香苗は動揺を隠せずに唐橋の顔をまじまじと見る。

 

「はいっ?」

 

「あれ?ダメ?」

 

 唐橋が襟足の辺りをポリポリと掻く。香苗は暫く思考停止に陥っていたが、自分が返答しないことには気まずい雰囲気が永遠に続くだけだということを判断し、言葉を紡いだ。

 

「いや、ダメじゃない!ダメじゃないけど…まだ唐橋さんのこと、アタシよく分からないし」

 

「それって友達からならOKってこと?」

 

「うん。友達からなら」

 

 唐橋は小声で「やった」と呟き小さくガッツポーズをした。まるで子供のようなリアクションに香苗は思わず吹き出してしまった。何より、まさか自分がこんなこっ恥ずかしい台詞を言う日が来るとは思いもしていなかった。

 

「じゃあさ、今度デートしようよ。連れて行きたいところがあるんだ」

 

 唐橋が嬉しさを隠せない様子で言い終えると車を停車させた。香苗は一体何事かと不審に思ったが、何てことはない。車は大学の校門前に到着していたのだ。この時間なら閉まっている筈の蛇腹式のフェンスが開放されている。その付近に立っていた初老の守衛が車に近付いてきたので、香苗は学生証を長財布から出すと、助手席の窓を開けた。

 

「ここの学生なんですけど、先生に呼ばれて来ました」

 

 守衛は目が悪いのか、不自然な程に香苗の提示した学生証の顔写真と本人の顔を凝視すると、急に穏やかな表情で頭を下げた。

 

「ああ、前山香苗さんですね?古池先生から話は聞いてますよ。どうぞお入りください」

 

「彼女を研究棟前で降ろしたいんで、車を中に入れたいんですが」

 

 唐橋の言葉に守衛は「付き添いの方でしたら別に構いませんよ」と笑顔で答える。唐橋は車を発進させると、研究室のあるA棟に隣接している教員専用の駐車場に手際よく駐車した。何もここまで送ってくれなくても良いのにと思いながらも、香苗は唐橋という男の優しさに改めて感心してしまった。

 

「用事が済むまでここで待ってるよ」

 

「それはさすがに悪いです。何時に終わるか分からないし、それにバイトで疲れてるんじゃないんですか?」

 

 唐橋は笑顔で「平気平気」と言うと、エンジンを切った。

 

「待ってるよ。キャンパスの探検もしてみたいし」

 

「守衛さんに怒られますよ、もう」

 

 香苗はやれやれと呆れながらも、唐橋に心から感謝していた。そして、くだらない用事はとっとと済ませてしまおうとA棟を見上げる。あの教授のこと。どうせロクでもない用事に決まっているのだから。

 

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