14時限目 〜有財〜

 …人間の内臓って綺麗なピンク色なんだな。そんな暢気な考えとは裏腹に、五木は迫りくるゾンビの群れから逃走する為、ゼミメンバーの後を追って無我夢中に階段を上っていた。大切な友人が目の前で、本当に目の前でゾンビに引き裂かれたというのに、そんな感想しか浮かばない自分が情けなかった。
 ここに来てからというもの、五木は自分の好きなゾンビ映画の名場面が、スクリーンやモニターを通してではなく、目の前でリアルに再現されるという悪夢のような体験をすることになった。例えばつい何秒か前に起きた、磯部の悲運な最期は「死霊のえじき」に登場するローズ大尉の死に様に酷似していたように思う。頭を派手に吹っ飛ばされた増渕の表情は「ビヨンド」に出てくる少女ゾンビそのものだったし、脳味噌を後頭部ごと握り潰された竜崎は、今日図書館で再生していた「地獄の門」の犠牲者にそっくりだ。

「出来過ぎてる…」

 五木は誰にでも無く呟く。そう、偶然にしては出来過ぎているのだ。今、自分を追いかけている地獄の亡者ども“餓鬼”にしても、ゾンビとは全くの別物の存在であるのにも関わらず、ありとあらゆる特徴がゾンビと酷似している。中には、映画からそのまま抜け出してきたかのような奴までいる。タールマン、サング、フロイトシュタイン、デモンズ、etc、etc…。

「みんな、大丈夫か」

 3階の踊り場まで行くと、ふいに警備員の柏木が現れた。恐らく、外階段を使ってA棟に入ったのだろうが、中庭での爆発から一体どうやって生き残ったのか。一緒にいた相棒の駒沢はどうしたのか。食堂に取り残されたという前山の彼氏とやらは救出出来たのか。次々と沸き上がる疑問を余所に、柏木は一言「付いて来るんだ」とゼミメンバーに言い放った。
 やや辛そうな足取りで階段を駆け足で上っていく柏木を追って行くと、先程のオニとの決戦場、そしてフルチ教授の研究室がある7階へと辿り着いた。人間はパニックに陥った時、危険を回避する為に行きあたりばったりな行動に出る時があるが、五木の考えでは柏木のとった行動がまさにそれであった。これじゃあ、家の外に逃げれば良いのに何故か2階へ逃げるスラッシャー映画のヒロインと一緒だ。

「ダメです。すぐにヤツらが来ますよ」

 五木同様に焦りを感じている榊の言葉を無視し、五木は非常階段から廊下に通じる入り口付近の壁をしきりに調べている。

「思った通り。みんな、廊下に出るんだ」

 柏木の指示に従って全員が廊下に出る。柏木が調べていた壁を掌で押すと、壁が動きだして非常階段と廊下を分断した。壁と思われていたものは頑丈な鉄の扉だったのだ。

「防火扉だ。これでヤツらの侵入を防げる」

 柏木が息を切らしながら言った。強度を確かめる為なのか、榊が扉に近付いて軽く手を触れようとするが、柏木が慌ててそれを制止した。

「こっち側から押すと簡単に開くように出来てるんだ。でも…」

 程なくして7階に到着した数体の餓鬼が防火扉に音を立てながら衝突した。両手で扉をバンバンと叩いているようだが、引き戸である扉はビクともしていない。

「なるほど。反対側からはいくら押しても開かない。そして、ヤツらは取っ手を掴んで扉を引くほどの頭脳は無い。凄い、パーフェクトだよ!」

 五木は思わず場違いな感嘆の声を上げてしまった。この扉は7階に籠城するのに最適な防御になることは明白であった。これまでのヤツらの行動を振り返る限り、ヤツらは相当に頭が悪い。“押して駄目なら引いてみろ”という生前の教訓は腐った脳味噌に刻まれていない。それに、この分厚い鉄扉ならば、例え何百体のゾンビが押し寄せようが焼け石に水だ。

「あの…」

 前山が何か言いたげな表情で柏木を見る。実際の所、何を言おうとしているのかは、その場にいる全員が分かっていた。柏木もすぐにそれを察知したのか、深い溜息を吐いて静かに目を伏せる。沈黙の後、柏木はおもむろに口を開いた。

「D棟に向かう途中で車が横転して…駒沢さんが犠牲になった。俺はがむしゃらになってD棟へ辿り着いたが…唐橋君は、その…」

 柏木は言葉を選ぶのに必死になっているように見えた。

「彼は何十体もの餓鬼を倒していた。多分、ここに居る誰よりも強かったと思う。ところが、彼の体が急激に変異を始めた」

「変異?」

 五木が思わず聞き返す。唐橋もゾンビに噛まれ、ヤツと同じようになったということなのか。

「外にいるような餓鬼とは違う、青色の…何かになった」

「それって…」

 榊が絶句しながら、廊下の先にある赤黒い肉塊を見る。つい先程、自分たちが持てる力を出し切って倒したオニの死体だ。淡々と語る柏木の話を聞き、前山の全身が小刻みに震えているのが分かった。そんな前山を見つめながら、柏木は静かに言葉を繋いだ。

「俺が殺した。すまない」

 次の瞬間、前山が柏木に飛び掛かり、胸倉を掴んだ。

「た、助けようとは思わなかったの!?」

 前山の涙交じりの怒声が廊下に反響する。柏木は再び、謝罪の言葉を口にするが、聞き入れる様子の無い前山が今度は拳を振り上げた。さすがに止めなければマズイと感じた五木が動くよりも早く、雛菊と榊の2人が柏木から前山を引きはがした。

「落ち着きましょう!仕方の無かったこと…なんですよね?」

 榊が柏木に問い掛けると、柏木は着用している黒いベストに手を当てる。出発前の綺麗な状態とは違い、ベストは刃物のようなもので切り裂かれ、恐らく耐衝撃効果があると思われる白い素材が剥き出しになっていた。

「包丁で切り掛かってきたんだ。多分、撃たなかったらこっちがやられていた。どうにも、どうにもならなかったんだ」

「ウソよ…何で?どうして、唐橋さんが…」

 突如、前山の膝がカクンと抜け、慌てて雛菊がその身体を支える。意識を失うのも無理は無かった。たった一日で、昔からの親友を失っただけでなく、恋人までもが帰らぬ人となってしまったのだ。精神が限界を向かえるのは必然とも言えた。では、自分は何故平気なのだろう。五木は自らに問う。ゼミメンバーの竜崎、磯部とは、それなりに仲良くやってきたつもりだ。だが、目の前で彼らが無情の死を遂げた時、何故か悔しさや悲しみといった感情が沸かず、「前に映画で観たことがある」という既視感の方が勝っていた。もしかしたら、自分には生まれつきそういった感情が抜け落ちているのかも知れない。
 しかし、その欠陥はこの狂った世界に於いては利点にもなり得る。その証拠に五木は今、仲間の死に思考を支配されること無く、この世界の“真実”に辿り着きつつあった。

 

 香苗が目覚めると、見覚えの無い白い天井が目に入った。体が酷くダルい。一体、どれくらいの間気を失っていたのだろうか。上半身を起こして周囲を見渡す。ここは、ここは何処だ。香苗の記憶する限りでは、こんな研究室は大学構内には無い。それに…カーテン越しに部屋を照らす光。地獄を照らし続けた赤い光とは違う、全てを浄化するかのような白く輝く光。あれは日光では無いのか。一体いつの間に現実世界へ戻ってきたのか。
 香苗は、あの世界での出来事を必死で回想する。そう、キャンパスが冥界…地獄へと空間転移した。そして、あの地獄で大切な親友の詠子は餓鬼になり、帰らぬ人となったのだ…詠子が餓鬼に?いや、違う。詠子は…詠子は先月、会社の給湯室で自分の手首を切り、失血死したではないか。それは、自分を精神的に追い詰めた上司たちへの復讐だった。
 じゃあ、餓鬼と化した詠子に惨殺された筈の竜崎は?…そうだ。彼は大学在学中に飲酒運転で7歳の少女をひき殺し、今現在も服役中だ。磯部もプロになった最初のデビュー戦で、試合中に相手選手を過失で殺してしまってからは連絡をとっていない。五木。彼は友人と自主映画の撮影中に俳優を川に飛び込ませて死なせてしまった。咲は卒業後に複数の男性に暴行を加えてそのうち1名が死亡した。
 そうだ、全部思い出した。ここは研究室では無く…病室だ。自分は、自分は堕胎手術をしたのだ。あの人間の皮を被った最低最悪のケダモノ、唐橋との間に出来た子供をおろす為に。一体どうして、どうしてこうなってしまったのだろう。今にして思えば、古池ゼミのメンバーは何かに呪われていたのかもしれない。ふと、病室のテレビに目をやる。中学生が金品目当てに路上の老夫婦を殺害したというニュース。凶器に使われたのは大手警備会社の警備員が勤務中に紛失した特殊警戒棒だった。警備員は責任を追求されて懲戒解雇処分だという。
 罪、罪、罪。この世は罪人で溢れている。そして、罪の数だけ罰がある。大罪を犯した者はそれ相応の報いを受けるのが世の掟。だから、だから私たちは…

「地獄に墜ちた…」 

 香苗は再度目を覚ます。ここは病室でも何でもなく、古池の研究室だった。担架に乗せられ、毛布を掛けられていた香苗が上半身を起こす。窓から漏れる赤い光。その光景に、香苗は不思議と安心感を覚える。ここは地獄であるが、つい先ほど目の当たりにした絶望的な世界に比べたら、遙かにマシな状況にも思えたからだ。

「魘されてたよ」
 
 柏木が心配そうに香苗の顔をのぞき込む。夢、だったのだろうか。しかし、夢にしては妙にリアルだったようにも思える。夢の世界で香苗が記憶していた仲間達の罪。あれは、もしかしたら未来に起こるべき不可避な事象なのかもしれない。古池の暴走行為で地獄の世界に来てしまったが、自分たちは近い将来に罪を犯して地獄に墜ちるべき存在だった。言うなれば、自分たちは前倒しという形で地獄に墜とされたのではないか。

「…必然だった」

 放心状態の香苗の口から放たれた言葉に柏木が呆気に取られる。

「必然?」

「そう、私たちが地獄に来たのは偶然じゃなく必然だったのよ。殺人、自殺、そして堕胎も罪。柏木さん、あなたも将来“罪を犯す筈の人間”だった」

 柏木はあからさまに返答に困っているようなリアクションをし、「一体、何の話だ?」と質問をする。しかし、香苗はそれ以上そのことについては語らないことにした。

「…何でもない。それより、他のみんなは何処へ?」

「食料探し、だそうだ。俺は仕事上、丸一日飲まず食わずってのには慣れているけど、他のみんなはそうはいかないんだろうね」

 柏木が説明を終えると、絶妙なタイミングで香苗のお腹から空腹を訴える音が漏れだした。香苗は慌てて咳込み、それを誤魔化す作戦に出たが、その情けない音色は既に柏木の耳に届いていたことは、彼の薄ら笑いを見て大凡の察しは付いていた。

「もっとも非常階段を閉鎖してしまった以上、探索出来るのはこのフロアに限られてしまうから、望みは薄いけどね。それよりも…」

 柏木が言葉を詰まらせる。香苗には分かっていた。柏木は唐橋を殺害してしまったことで自責の念に駆られていること。そして、その原因は感情的になって非難の言葉を浴びせてしまった香苗自身にあるということも。

「良いんです。柏木さん」

 香苗は俯きながら言う。

「私も柏木さんに酷いことを言ってしまって…その、すみませんでした」

 素直に謝罪の言葉が出たのは、あのリアルな悪夢によるところが大きい。あの世界での唐橋は、本当に最低の男だったからだ。柏木は照れくさそうに微笑むと、「俺も食料を探してくるよ」と言い残して部屋を後にした。
 1人残された香苗は窓の外を見る。何時間経とうが、地獄の景色は変わらない。血のように赤く染まったキャンパス。一体、あとどれくらいの時間をここで過ごさなければならないのだろうか。
 今度は壁に空いている穴に視線を移す。そもそも、本当に現世に帰ることが出来るのだろうか。疑問は尽きないが、自分たちに出来ることは餓鬼、そしてオニの襲撃から身を守り、ただ“その時”を待つ他ないのだ。そうなるとやはり食料の確保が重要だが、今はもっとこの場所を知るべきなのかもしれない。
 香苗は立ち上がり、入り口すぐ右手側に配置されている本棚の前まで移動した。何か、役に立つ文献があるかもしれない。背表紙を見る限りでは、どれもオカルト関係の書物であったが、その中でもあからさまに付箋だらけの本を香苗は手に取る。

「六道研究学…」

 タイトルを読み上げると、香苗はページをめくり始めた。

 

 A棟7階は16部屋の個人研究室と2部屋の会議室、合計18の部屋が存在している。榊は駒沢から預かったマスターキーで全ての扉を解錠し、咲と五木の2名と分担して各部屋を探索していた。未だに榊は肝心の食料を発見することが出来なかったが、各研究室の冷蔵庫から飲料水の類を確保することが出来たのは不幸中の幸いと言えた。
 若干の焦りを感じつつ、榊は柏木と同じ時を刻むように 調整した腕時計に目をやる。07:45のデジタル表示。古池の持論通り、翌00:00に現世への扉が解放されるのだとすれば、残り16時間近くこの世界で生き延びなければならない。山雛高校で多少の食事を摂取していたお陰もあり、不思議と空腹を感じることはなかったが、1週間もお風呂に入っていないのは華の女子高生としては致命的であった。外を彷徨く餓鬼の死臭の強さで紛れていたが、榊は自分の体が異臭を放っているのを感じていたし、体のあちこちも痒かった。
 おまけに、山雛高校でバケツ頭に草刈機で散髪された髪の毛も酷くボサボサであるときている。まるで家出少女だ、と榊は廊下のガラスに反射している自分の姿を見て思わず目を回した。

「…どう?そっちは」

 気配なく近付いてきたゴスロリ服の少女、雛菊咲が尋ねる。大人しそうな人だったが、平気でオニの顔面に膝蹴りをかます武闘派だったことが榊の中で大きなインパクトであったことは記憶に新しい。

「飲み物はあったんですが、食べ物らしい食べ物は見つかりませんでした。雛菊さんの方はどうでした?」

 雛菊は僅かに微笑み、白いレジ袋を榊の前に掲げる。

「非常食ならあった」

 レジ袋を受け取った榊が中を見ると、乾パンやビスケットの缶詰が5つ程入っていた。十分過ぎるほどの収穫であった。これで、後は時間が来るまで粘るだけだ。

「まだ私たちを諦めてないようね、餓鬼」

 雛菊は窓から中庭を見て呟く。キャンパスを覆い尽くす程の餓鬼が、相も変わらずそこには居た。

「決して満たされぬ飢餓感に突き動かされるだけの存在っていうのも、何だかチョット哀れですよね」

「人間も同じ」

 榊は思わず雛菊の横顔を見る。

「多かれ少なかれ、人間だって欲望を満たす為に行動してる。食欲、睡眠欲、そして…」

 唐突に言葉が途切れる。雛菊が窓の外を凝視していた。

「あれは何?」

 話の続きが大いに気になったが、榊は雛菊が指差す中庭の方へと視線を移した。ノロノロと歩く餓鬼の間を縫って、赤い光が猛スピードで移動をしていた。目をこらすと、全身が紙のように真っ白の人間が、頭部から赤い光を放ちながら高速で移動をしていた。走るタイプの餓鬼…なのだろうか。白い個体は赤い軌跡を描きながら落ち着きなく走り回った後に、1体の餓鬼と向き合う形でピタリと止まった。突如、白い個体が地面に突っ伏し、まるで餓鬼に対して土下座をしているような姿勢となった。

「一体、何なの?」

「遠くて良く分かりませんが、新手の化け物でしょうか。あ!あそこにも」

 白い個体は中庭内のいたるところで確認が出来た。そして、ヤツらは決まって一体の餓鬼の前で立ち止まり、土下座のような姿勢をとる。全く以って理解の出来ない行動であった。
 ふと、雛菊が口元を押さえて逃げるように窓から後ずさる。カッと見開かれた瞼の中の眼球がクルリと裏返り、ゆで卵のような白目がそこに現れた。

「雛菊さん?!」

 雛菊は白目を剥いたまま廊下にしゃがみ込み、荒い呼吸を繰り返していたが、しばらくすると壁に手を付いてヨロヨロと立ち上がった。眼球も正常に戻っている。

「私、今…ごめんなさい。自分でもよく分からないの」

 突然のことに雛菊本人も混乱を隠せずにいた。

「き、きっと疲れてるんですよ。まだ先は長いんですし、ちょっと休みましょう」

 そうだ。みんな疲れている。特に雛菊は、オニとの戦闘で7階から落下しているではないか。車に跳ね飛ばされた人間が、目立った外傷もないことから自らの足で家に帰宅したら翌朝に死亡していたという事例もある。雛菊が脳に深刻なダメージを負っている可能性は否定出来ないのだ。榊は未だ放心している雛菊の手を取り、古池の研究室へと向かった。

 

 柏木が探索の為に会議室に入ると、そこは机も椅子もない、会議室と言うよりはただの空き部屋といった印象の殺風景な部屋だった。
…こんな部屋に食料なんかある筈がないか。
 柏木は落胆し、部屋の突き当たりまで進む。何枚もの窓ガラスが並び、そこから漏れる地獄の光が部屋全体を深紅に染めている。

「気が狂ったような赤色、鼻がひん曲がりそうな腐臭。でも、ずっとこの世界に居ると慣れてくるから不思議だよね」

 いつの間にか入り口に立っていた五木が柏木に語りかける。

「人間の視界には常に自分の鼻が入っている筈なのに、脳がその不要な情報を削除している。多分、それと同じようなことなんじゃないか?」

 柏木がちょっとした雑学で応じると、五木は目を丸くして急に笑いだした。そのリアクションに柏木は少しムッとする。

「いや、ごめんなさい。良い例えだったと思います。ところで柏木さん、ちょっと僕の話を聞いて貰えますか?」

「話って?」

「この世界の真実、かな」

 五木が不適な笑みを浮かべると、扉を後ろ手で閉める。

「聞かれたら都合の悪い相手もいるんで」

 五木は扉から離れ、歩を進めると部屋の中央でピタリと止まる。何とも芝居染みた、柏木の癇に触る行動だった。

「僕、この世界に来てから本当に興奮しっぱなし。だって、映画でしか見られなかったゾンビが目の前に居るんだもの。ゾンビ映画にそっくりのこの世界。本当に最高だ」

 舞台劇のように両手を広げる五木。しかし、すぐにその手を下ろす。

「この世界がゾンビ映画にそっくり?本当にそうなのだろうか。途中から僕は気付き始めたんだ。この地獄の世界は、あまりに既存のゾンビ映画のルールに似すぎている。そう、不気味なくらいに」

 五木は柏木の目を真っ正面から見据える。

「逆だったんだ。この世界がゾンビ映画に似ているのではなく、ゾンビ映画がこの世界を模倣していた。そう考えると、何となく辻褄が合うような気がする。スピルバーグは宇宙人とコンタクトをとっていた、なんて都市伝説があったけど、僕が思うにジョージ・A・ロメロもルチオ・フルチもビンセント・ドーンも…いや、彼は違うか。とにかくゾンビ映画を撮った監督の多くは、古池教授と同じように地獄の門の開放に遭遇して、この世界を観測したか、もしくは僕らのように地獄の世界へ迷い込んで、その体験を元にゾンビ映画を撮った」

「その人たちのことは良く知らないけど、些か突飛過ぎる説のようにも思えるな」

 柏木は率直な感想を漏らした。

「事実は小説より奇なり、だよ。そういえばジュール・ベルヌが実際に地底旅行していたなんて映画もあったよね。ただ、僕の持論では誰もが簡単にこの世界へ行けるワケじゃなく、僕らには何か共通点…因果のようなものがあると思うんだ。ルチオ・フルチの死因はインシュリンの打ち忘れだったけど、それが実は自殺だったって説もあるしね。自殺だって立派な罪さ。そして、罪を犯した者は地獄へと落ちる」

 先程の前山の話を思い出し、柏木の背筋に冷たいものが走る。因果。自分も将来、罪を犯すと前山は言っていた。

「まぁ、その話はまた別の機会に。ところで柏木さん。唐橋って男のことだけど、変異前の彼を見て正直にどう思った?」

 言おうか言うまいか、暫しの葛藤の後、柏木は口を開く。

「俺の知る限りでは最低の男、かな。それに凶暴性も秘めていた。餓鬼を始末することに喜びを感じているように見えたよ」

 五木は「それだ!」と両拳を握りガッツポーズをする。

「この世界にいるオニのことだけど、ヤツらも僕らのように地獄の世界に迷いこんでしまった現世の人間なんだ。オニになる条件、最初は餓鬼を倒した数に比例しているのかと思ったけど、柏木さんや榊さんにはその兆候が見られない。人間性を捨て去り、餓鬼を倒すことに喜びを感じる境地に達するのが条件だったんだ」

 何だか話が見えてこない。寝不足で限界を感じ始めていた柏木は欠伸を噛み殺しながら、話の終わりをひたすら待った。

「分からない?仮に僕らが現世へ帰れなかった時、僕らの運命は2つに1つ。ヤツらに噛まれて増渕さんのように餓鬼となるか、精神が崩壊するまで餓鬼と戦い続けてオニになるか」

 五木が不敵な笑みを浮かべる。現世へ帰れない。そんな可能性は想像もしたくないが、帰れる保証など無いのも事実なのだ。だが、化け物として生きながらえるなんて死んでも御免だ。

「俺だったら、古池教授のように飛び降り自殺を希望するね」

「そういえば第3の選択肢を忘れていたね。オススメは拳銃自殺だよ。脳の破壊が叶わなかったら、僕らは結局餓鬼となり、終わり無き拷問を受け続ける羽目になるからね」

 そう言うと、五木は右手で拳銃の形を作り自らの頭に当てる。拳銃自殺のつもりなのだろうか。相変わらず芝居掛かった動作だったが、突如、五木は目玉が大きく見開き、小刻みに震え出す。

「う…うし、ろろ、は見ちゃ、だだめ、だ」

 うしろ、だと?柏木は自分の背後を振り返りたい衝動に駆られたが、目の前で痙攣を繰り返す五木の眼球がぐるりと裏返り、涙腺から溢れ出る血液が頬を伝っていくのを見て慌てて駆け寄ろうとする。しかし、そんな柏木の顔面に容赦なく熱い液体が浴びせられた。突然、視界を奪われた柏木はパニックになりながらも制服の袖で目元を拭う。それは、五木の吐寫物だった。
 血の涙を流す五木は、激しい嘔吐を繰り返していた。嘔吐は次第に吐血へと変わり、それが終わると今度は鮮やかなピンク色の太い管のようなものが口からズルズルと逆流し、不快な音を立てながら床に蜷局を巻いていた。それが五木の内臓であることに気付いた柏木は、恐怖のあまり無意識の内に後ずさっていた。死の逆流が収まると、五木の体は糸の切れた操り人形のように後方に倒れ、湯気と共に悪臭を放つ五木の中身だけが残された。
 背中が背後の窓ガラスに当たり、柏木は窓ガラスの外に何かが張り付いているのを気配で察知する。そして次の瞬間、窓ガラスがけたたましい音と共に破壊され、“それ”は目の前の柏木を跳ね飛ばして室内へと侵入を開始した。全身真っ白の餓鬼…なのだろうか。その白塗りの人型生物は一直線に倒れている五木の元へとたどり着くと、突然ガクリと両膝を付く土下座のような姿勢をとり、“五木の内容物”をジュルジュルと音を立てて啜り始めた。
 理解の範疇を超えた最低最悪の出来事に、柏木は自分でも訳の分からない叫び声を上げながら、倒れた姿勢のまま拳銃の引き金を何度も何度も引いた。だが、感情任せに発射された弾丸は一発も命中することは無かった。晩餐を邪魔された白い餓鬼は、ゆっくりと柏木の方へと振り返る。両目から放たれる赤い光。視界が瞬時に奪われ、柏木の意識はそこで飛んだ。

 

「柏木さん、しっかりしてください!」

 声と共に体を揺さぶられ、柏木は目を覚ます。目の前には榊、そして雛菊と前山の姿もあった。

「俺は一体…」

 柏木は身を起こす。五木の死体のすぐ横で、あの白い化け物も床に横たわっていた。頭部には矢が突き刺さり、柏木が意識を失う直前に見た赤い光は完全に失われていた。

「これは恐らく少財餓鬼ね」

 会議室の入り口付近に立っていた前山が言った。

「餓鬼にも色々と種類がいることが分かったの。恐らく犯した罪の大きさで決まるのだろうけど、私たちが今まで見てきたのは無財餓鬼と呼ばれる永遠の飢えに苦しむ最下層の餓鬼。でも、この白い餓鬼…少財餓鬼はある方法によって自分で食料を確保することが出来るのよ」

「ある方法って…」

「あの目から出る赤い光です」

 今度は榊が解説した。榊の話によると、あの白い餓鬼と目が合ってしまったが最後、五木のように内臓が排出されて死に至るということらしい。柏木が助かったのは、あの直後に榊が部屋に飛び込んできて化け物を始末したからだったのだ。

「問題なのは、少財餓鬼は複数いる。そして、奴らには壁を這う能力もあるということです」

 柏木の片手に握りしめていた拳銃に思わず力が入る。休んでいる暇など無い、ということか。

「こうなったら、このフロアの全ての窓にバリケードをするしか無いな。何か、材料になりそうなものを手分けして集めよう」

 柏木の言葉に全員が頷き、榊、前山の2人はすぐさま部屋から退室した。リーダーなんてものは柏木の柄では無かったが、駒沢が居なくなった以上、ここは最年長、そして唯一の男である自分がしっかりするしかないのだ。
 柏木はポケットから駒沢から託された2発の弾丸を出すと、空っぽの拳銃の弾倉に装填する。残りたったの2発。もう、闇雲に撃って外すことなど出来ない。

「…まだ終わってない」

 会議室内に残っていた雛菊が呟くと、それに呼応するかのように中身が空っぽの五木がゆっくりと立ち上がった。そう、頭部を破壊しない限り、死者は全て餓鬼となる。五木は自分の吐き出した内容物に足を滑らせながらも、ゆっくりと近付いてきた。柏木は拳銃の撃鉄を起こすが、銃口を向けるよりも早く雛菊が五木の後ろに回り込んでいた。雛菊は五木の首に腕を回し、もう一方の腕は彼の暴れる頭をしっかりとホールドしていた。

「さよなら、五木君」

 雛菊は別れの言葉と共に五木の頭を目にも止まらぬ早さで捻る。頚椎が折れ、首があらぬ方向に向いた五木に2度目の死が訪れた。まるで訓練された殺し屋のような雛菊の手慣れた動きに、柏木はただただ唖然とする他なかった。そして、柏木は見てしまった。崩れ落ちる五木の向こうで、不適な笑みを浮かべる雛菊の表情。まるで、餓鬼を葬ることに喜びを感じているかのような彼女の表情を。
 …2発の弾丸。それを何に、“誰に”使うべきなのか。柏木の中で答えが出たような気がした。

 

 

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