佐伯 和真

 残業をしていた最後の銀行員が帰り、このビルには常駐警備員の佐伯と相方の中田の2人だけしか残されていない。佐伯は、制服の上着を脱いですっかりと椅子でくつろいでいる中田とは正反対に、警備室にいくつも並ぶ監視モニターのひとつを緊張した面持ちで凝視していた。ビルの外周の一部を映したモニター上では、街灯に照らされた路面が少し濡れているのが分かる。恐らく、既に小雨が降り始めているのだろう。

「おい、いつまで立ったままモニター見てんだよ。行員も帰ったんだし、コーヒーでも飲んでノンビリしようや」

 歳が10ほど離れたベテラン社員である中田の言葉も、今の佐伯の耳には届かなかった。雨が降り始めたということは、恐らく今日の夜、メンバーの誰かが五味によって消されてしまうことを意味していたからだ。そして、それは自分なのかもしれないという恐怖が、佐伯の心を支配していた。
 佐伯が監視カメラから目を離せない理由は、雨以外にもあった。2分ほど前に喜多村から届いたメールには「何か変化に気付いたら、すぐに教えてほしい」という旨の内容が記されていたからだ。

「お前、顔色ヤバイぞ。大丈夫なのか?」

 いつの間にか佐伯の隣に並んでいた中田が、心配そうな顔で声を掛ける。佐伯は我に返り、「大丈夫です」と告げると、中田の席と向かい合わせにあるデスクに座った。それを見た中田も腑に落ちていない様子で席に着く。

「具合が悪いんだったら、ここは俺に任せて仮眠に入っても良いんだぞ」

 中田の言葉に、佐伯は緊張がいくらか解けていくのが分かった。

「いえ、大丈夫です。ただ…」

「ただ?」

「中田さん、その、幽霊とか呪いって信じますか?」

 その時、普段は眠そうな顔をしている中田の目付きが大きく見開かれるのが佐伯には分かった。他の同僚からの又聞きであるが、中田はオカルト関係の話に精通しているというのは佐伯も知っていた。しかし、直後に中田が返した言葉は、佐伯が思っていたものとは正反対であった。

「いや、全然」

「い、意外ですね。中田さんは、そういうのがお好きだと他の人から聞いていたものですから」

 やや拍子抜けした佐伯が食い気味に返すと、中田は声を上げて笑った。

「まぁ、心霊映画とかは好きだけどな。あんなものはフィクションだ。現実に幽霊を見たなんて奴は、恐らく寝ぼけてたか、あるいは何かの見間違えか、とにかく他愛もない話を勝手に膨らませて心霊体験にしているだけだろう」

 少し得意気な中田は続ける。

「教師が夜の学校で、看護師が夜の病院で、そして俺たち警備員が夜のオフィスビルで幽霊を見た。そんな怪談話が妙に多いのは何でだと思う?」

「えーと…激務で、寝不足だったから?」

 中田はニヤリとする。恐らく正解という意味なのだろう。

「ついでに言うと、そこで登場する幽霊ってのは大体いつも一緒。白い服に長い髪の女性。何で誰もビキニを着た色黒ギャルだとか、頭にネクタイ巻いた酔っ払いのオッサンの幽霊は見ないんだ?答えは簡単だよ。そんな幽霊は、そいつが過去に見たどの心霊作品にも存在しないからだ。TVか映画か知らんが、昔に何かで見た恐ろしい幽霊が、勝手にそいつの頭の中でイメージとなって現れてるだけなんだよ」

「じゃあ、呪いはどうです?それも何かの思い込みだったりするんですか?」

 呪いの質問をぶつけてみたのは、今まさに自分たちは五味による15年越しの呪いを受けているといっても過言では無かったからだ。中田は腕を組み、何か回答を探しているような様子だったが、程なくして口を開いた。

「例えば、朝の番組で“星座別占い”みたいなのがあるだろ。そこで自分の星座が最悪の運勢だったとする。するとどうだ? 普段は気にもしてない些細なことでも、まるで占い通りに災厄が降りかかったように思えたりしないか?」

 確かに経験はある。要は、思い込み、気の持ちようだということを中田は言いたいのだろう。しかし、現実に仲間が消えている現状を見ると、そんな精神論では説明が付かないことも事実だ。
 その時、佐伯は胸ポケットに入れていたスマートフォンが小刻みに振動をしているのを感じた。

「話の途中ですみません。ちょっとケータイ見ても良いですか?」

 中田の返答を待たず、佐伯はスマホを取り出す。恐らく剣道部OBからの連絡だろうという予想に反し、それは妻の芳枝からの、写真付きのメッセージだった。「信じられないことが起こりました」という文章と共に送られた画像。そこには、陽性反応を示した妊娠検査薬が写されていた。スマホを持つ手が震えているのが、自分でも分かった。

「中田さん、どうしましょう」

 明らかに様子のおかしい佐伯に、中田は口を開けてポカンとしている。

「嫁が妊娠しました」

 状況を察した中田は大笑いする。

「何なんだよ、お前は。さっきまでバカみたいに深刻な顔で、幽霊だの呪いだの言ってたくせに、今度は突然ノロケ話か?まぁ、良かったじゃねえか。お前んとこの嫁さん、長いこと不妊治療を続けてたもんな」

 その通りだった。芳枝とは以前いた別の契約先のビルで出会い、すぐに恋仲となった。デートを重ねていく中で、彼女から妊娠が難しい体であることを告げられたが、佐伯は特に気にすることなく交際を続け、そして結婚をした。しかし、子供を諦めきれない芳枝の意思を尊重し、数年に渡って不妊治療を受けていたのだ。金銭的な問題もあり、今年で駄目ならもう潔く諦めてしまおうという話をしたのは、つい先日のことであった。

「まぁ、大変なのはこれからだろうが、とにかくおめでとう。さて、元気も出てきたところで、そろそろ定時巡回に行ってきてもらっても構わないか?」

 中田の言葉に思わずハッとなる。仕事のことなど、すっかり忘れていた。佐伯は高鳴る鼓動を抑えきれず、制帽を被って警備室を後にした。


 懐中電灯を照らし、一部屋ずつ見て回るいつものマンネリ化した業務も、今日はいつもと違う気分でこなすことが出来た。生まれてくる子供は、男の子か女の子か。名前はどうしようか。家族が増えるとなると、今住んでる1LDKのアパートでは狭いだろうから、近々引っ越しも検討しなければならない。そんなことを考えてるうちに、巡回の時間はすぐに過ぎていった。
 気の持ちよう、とは良く言ったものだと佐伯は思う。その証拠に、今は五味の呪いなど、最初から存在しなかったのではないかという思いさえ抱いていた。集団心理という言葉があるが、もしかしたら剣道部のOBは全員ありもしない呪いに脅えていただけなのかもしれない。スマホの不具合でアドレス帳のデータが偶々消えた。喜多村が訪れた伊口の実家は別の家だった。これまでに起こった不可解なことだって、いくらでも説明が付くではないか。
 そう考えていたその時、佐伯は警備室へと向かう足を思わず止めた。廊下の先に、誰かが立っていたからだ。残業届けは出ていなかったが、銀行員が残っていたのだろうか。廊下の床を懐中電灯で照らしながら歩を進めるが、その人影は微動だにすることなく立ち続けている。

「すみません、どうかされましたか?」

 数メートル先から声を掛けても反応が無い。失礼なのを承知で、佐伯は懐中電灯をその人物の頭部に照らした。そこで初めて、その人物が剣道部顧問の内山田であることが分かった。服装は飲み会に参加した時と同様であったが、目は虚ろで、顔色も酷く青ざめている。何故、ここに内山田がいるのか。佐伯の中で合理的な答えを探していると、内山田は突如として佐伯の両肩に掴み掛かり、ありえない程の大口を開けて首筋に噛み付こうとしてきた。佐伯は咄嗟に手を振りほどき、後ろに倒れ込んでそこから逃れたものの、内山田は獲物を逃がすまいと、尻餅を付いている佐伯に向かってヨタヨタと歩き出した。

「そんな、何で…」

 変わり果てた内山田の姿にショックを隠しきれない佐伯であったが、すぐに立ち上がると廊下を全速力で走り出した。このままだと、無事では済まされないことは明白だった。とりあえず、中田の待つ警備室に戻ることが先決であったが、1階に繋がる階段へと続く廊下は内山田によって塞がれていたため、まずは反対方向にある階段を使って1階に降りる必要があった。階段へはすぐに辿り付いたが、佐伯は下に降りることが出来なかった。眼下に見える踊り場に“奴”がいたからである。それは忘れもしない、豪雨でぐっしょりと濡れた笠内高校の制服を着た、“あの時”の五味であった。目を合わせると、五味はニタァっと気色の悪い笑みを浮かべた。
 本能的に命の危険を感じた佐伯は、仕方なく階段を上に上るしかなかった。必死で足を動かし、最上階まで辿り着いた時になってようやく、胸のスマホが振動を繰り返していることに気付いた。
 普段は銀行員が使用している執務室に入り、息を整えながらスマホを見る。今度は喜多村からの電話着信であった。通話ボタンをタップして応答すると、ノイズ交じりの喜多村の声が流れる。

「さ、佐伯、五味に消された人間はヤツの仲間だ。アイツの怨みは他の人間に…」

 そこで通話が途切れた。しかし、喜多村が言おうとしていたことはすぐに理解できた。五味に消された者もまた、五味の怨みを受け継ぐ屍へと成り果てるということなのだ。そして、今まさに喜多村がそうなった。状況を見るに、次は自分の番なのだろう。
 ドンッと音を響かせ、真後ろにあった木製の扉が揺れる。五味と内山田が、執務室に浸入しようとしていることは明白だった。佐伯は腰にぶら下げていた警棒を手に取り、扉を見据えたまま後退する。今の状況を、中田は一体どう説明するのだろうか。寝不足による見間違い。過去のトラウマがイメージとなって現れただけだ、とでも言うのだろうか。
 再度、衝撃音と共に扉が揺れた。簡単な作りの扉であるため、壊れることはもはや時間の問題だった。相手は2人。それも既に死んでいる相手など、勝ち目が無いことは分かりきっていた。奮闘空しく、恐らく自分も消されて五味の配下となり、伊口や喜多村と一緒に、まだ生きている尾張や須永を襲うのだろう。仕事中に突然失踪した自分に、先輩の中田や妻の芳枝はどう思うのだろうか。
 …いや、違う。そうじゃない。喫茶店での喜多村の話を思い出し、佐伯は全身から冷や汗が出るのを実感した。そう、自分は最初から存在しなかったことになるのだ。茫然自失のままスマホを取り出し、芳枝から送られてきた写真を表示させる。この喜びもまた、無かったことになるのだ。妻の中に芽生えた、新たな生命さえも…
 扉が大きくひしゃげ、五味と内山田が浸入してきた。佐伯の姿を見付けると、横並びになって進行を開始する。佐伯は無意識の内に流していた涙を拭うと、部屋の窓際まで走った。ロックを解除し、窓を大きく開け放つと、冷たい雨が吹き込んできた。こうするしか、こうするしか無いのだ。窓に足を掛けた佐伯は、振り向き様に2体の歩く死体を睨み付ける。 

「お前らに、俺は殺させない」

 窓に掛けていた足を力強く蹴ると、佐伯は全身に雨を感じながら、固いコンクリートが自分の頭を砕くその時を待った。
 

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