喜多村 尚行

 この道を歩くのは恐らく13年振りになるのだろうが、商店街の様子はあの頃とは大きく変わっていた。駅前に大型のショッピングモールが出来た影響が大きいのか、シャッターの閉まっている店が目立つようになったし、人通りも少なく閑散とした印象を受ける。
 あの時は、確か伊口が学校を無断欠席した日の夜だった。伊口は前日に中間テストでカンニングをしたことが発覚し、担任の教師にこっぴどく叱られた上、放課後の部活で顧問の内山田から稽古という名の“制裁”を受けた。不貞腐れて学校を休んだ伊口を慰めに、部活帰りにこの商店街の並びにある豆腐店…伊口の実家を訪れ、彼の愚痴を何時間も聞いた。
 その時に初めて伊口の母親に会ったが、これがまた息子に負けず劣らずの掟破りな人間で、高校生である自分達に缶ビールの差し入れをしてきた。人生で初めて口にしたアルコールの味は美味くも何ともなかったが、翌日が休みということあり、その日は伊口と共に朝までバカ話をして過ごしたのだ。
 今、電柱の陰から喜多村が見ている伊口の母親は、当然のことながらあの頃よりも年老いていたが、店の常連客と思しき中年女性と豪快に笑い声をあげながら会話をしている所を見ると、特に大きな病気もなく元気にやっているのだろう。大切な人を失っていることなど露とも知らず、伊口の母親は再び笑い声をあげる。
 伊口からの電話があったのは一昨日のことだ。耳をつんざくような彼の絶叫を残し、一切の応答が無くなった電話。喜多村はその後、着信履歴からのリダイヤルを試みようとしたが、そこに伊口の名前はなく、やはり内山田の時と同じようにアドレス帳からも完全に削除されていたのだ。
 その時、店の裏から、喜多村の知らない女性がエプロンを付けながら出てきた。伊口の母親は、彼女と笑顔で会話を交わした後に、先程まで話し込んでいた常連客らしき中年女性と店を出ていった。きっとアルバイトでも雇っているのだろうと喜多村が納得しかけた時、再び伊口の母親の豪快な笑い声が聞こえた。

「そーんなことないってば!ウチの娘なんて、こっちが言わなきゃ全然手伝いなんてしないんだから!」

 娘、と伊口の母親は言った。伊口に姉や妹がいないことは、一番仲の良かった喜多村自身がよく知っていた。

「ちょっとー、聞こえてるからねー!」

 店に残された女性が頬を膨らませながら言う。いかにも天真爛漫そうなその娘は、恐らく自分と同い年くらいなのだろう。全身の力が抜けていくのを実感しながら、喜多村はその場を後にした。
 
 
 
「じゃあ、伊口君も内山田先生と同じように…」
 
 向かいの席に座っている生羅が深刻そうな面持ちで呟く。喜多村が集合場所に指定したファミレスは、高校時代にみんなで頻繁に利用していた思い出の場所でもあった。幸いにも、他のメンバーは仕事が休みということもあり、夜勤明けの喜多村の時間に合わせて全員が集まることが出来たのであった。

「信じられないことだが、最初から存在しなかったことになってる。ヤツからの最後の電話を聞いた限りだと、五味が現れたと言っていた」

 喜多村は、一昨日の伊口との電話でのやり取りを回想しながら言った。

「正直なところ、五味君に関しては“あの事件”のことぐらいしか覚えていないんだけど、一体どんな人だったけ?

 佐伯が後頭部をポリポリと掻きながら言うと、生羅と望美が同時に「え!?」と驚きの声を上げる。

「一番仲が良かったの、佐伯君じゃない」

 望美の言葉に喜多村も全くの同意見だった。佐伯と五味は、よく朝練前の部室で昨夜見た深夜アニメの話題で盛り上がっていたし、休みの日には好きな声優のコンサートにも行ったとも伊口経由で聞いていたからだ。喜多村は望美に応酬する形でそのことを伝えると、佐伯は思わず目を丸くし、両手を組んで考え込んでしまった。

「言われてみれば、よく話していたような気もするけど…五味君、すぐ転校しちゃったからあまり印象にないのかも」

 店員が人数分のアイスコーヒーを運んできた。喜多村は夜勤明け特有の吸い込まれるような眠さを少しでも解消しようと、コップを手に取り少し大目に口に含む。

「でも、何で今になって復讐を? “あの事件”を逆恨みしているのだとしても、もう15年以上も前の話だよ?」

 佐伯の言葉に一同は沈黙する。喜多村はコーヒーが半分ほど残っているグラスを置くと、やはり一昨日の伊口とのやり取りを回想し、口を開いた。

「引っ越した先を考えると、恐らく五味は震災の直後に津波で亡くなったんだと思う。俺が思うに、ヤツが恨んでるのは“あの事件”じゃなくて、同窓会に誘わなかったことなんじゃないのか?」

「同窓会に来てれば、死なずに済んだってこと?」

 佐伯の問い掛けに喜多村は無言で頷く。

「そうなのかも。そもそも“あの事件”で悪いのはどう考えてもアイツだし。つーか、恨みたいのはアタシの方だし」

 溜息混じりに望美が言った。あの時の望美の恐怖に怯えた瞳を、喜多村は今でもよく覚えていた。考えるよりも先に身体が動いていて、五味の顔面を力一杯蹴飛ばしていたことはほとんど無意識のうちの行動だった。

「ちょ、ちょっと待った」

 佐伯が挙手をする。

「えーと、じゃあ、震災で死んだ五味君が同窓会に誘わなかったことを恨んで、幽霊かなんかになって復讐してるってこと? そういうの、ちょっと信じられないんだけど…」

 佐伯の言うことはもっともであった。死んだ人間が復讐しにくることなど、漫画や映画の中だけの話だ。しかし、内山田や伊口はこの世から姿を消した。それだけでなく、自分たち、剣道部のメンバー以外の人々の記憶から2人の存在は完全に抹消されてしまっている。科学では説明の付かないことが、現に起こっているのだ。

「信じられないが現実だ。俺たちが五味のことを忘れていたように、俺たちを完全に消し去り、最初からいなかったことにすることが、恐らく奴の復讐なんだろう」

 喜多村の言葉を最後に沈黙が訪れる。店内には、先程まで交わしていた会話に似つかわしくない、明るいJポップが流れていた。こんな状況でなければ、久しぶりにこのメンバーでカラオケにでも行きたいと喜多村が考え始めていた時、長い沈黙を生羅が破った。

「あの事件のこと、五味君はまだ恨んでると私は思う」

 生羅の隣に座っていた望美が、思わず彼女の顔を覗き込む。

「どうしてそう思うの?」

 望美の質問に生羅は暫く俯いたままであったが、何かを決心したかのように顔をあげて口を開いた。

「みんな、気付いてた?内山田先生も、伊口君も、雨の日に突然姿を消しているの」

 “雨”という単語を聞き、喜多村は思わずハッとなる。望美と佐伯もそのことに気付いたのか、お互いに顔を見合せ、明らかに動揺を隠しきれていない様子だった。
 そう、奴に制裁を加えたあの夜も雨が降っていた。電車が止まるほどの記録的な豪雨だったから、喜多村はあの時のことを今でもよく覚えていた。

「じゃあ今後、雨が降る日に俺たちの誰かが消えるってこと?」

 佐伯の問いに生羅が頷くと、神妙な面持ちで鞄から取り出したスマートフォンを操作し、テーブルの中央に置いた。全員が、それを不思議そうに覗き込む。そこには、今日の天気予報が表示されていた。夜から明け方にかけて雨。生羅は、皆の反応を見るかのように、大きく見開かれた目を左右に往復させた。

「オーケー、分かった」

 喜多村は自分を落ち着かせるために大きく深呼吸をしながら言った

「今日の夜は戸締まりをしっかりして、外には出歩かないようにしよう。朝になったら俺の方から全員に安否を確認するメールを送るから、気付いた段階で速やかに返信してくれ」

 喜多村が言い終えると、佐伯が気まずそうに下を向きながら挙手をする。

「僕、今日はこれから夜勤なんだけど」

 夜勤。佐伯は警備会社で勤務しているのだから当然のことだったし、自分も消防士をしている以上は決して他人事では無かった。

「些細な変化も見逃さず、自分の身は自分で守るしかないだろう。それに、恐らく佐伯はターゲットから外されてる可能性だってある。あの時も、最後まで五味を殴ることを拒んでたのはお前だったろ」

 喜多村が言うと、佐伯は首を大きく横に振った。

「結局は最後に僕も殴ったから同罪さ。最近、あの時の夢をよく見るから、木刀越しに伝わる厭な感触を思い出してしまうんだ」

 喜多村の背筋にゾクッとしたものが走る。夢。自分も、ここ数日は毎日のようにあの夜を鮮明に再現した悪夢を見ていた。

「ちょっ、冗談でしょ?アタシも最近、あの時の夢ばかりを見るんだけど…もしかして生羅も?」

 狼狽した様子の望美に、生羅が「実は私もなの」と頷く。やはり、五味はあの夜に受けた仕打ちをを忘れてなどはいなかったのだ。動揺するメンバーを見て、喜多村はかつて自分がしていた主将としての役目を、今回も務めなければならないという、使命感のようなものが沸き上がっているのを感じていた。

「とにかく、今までの常識は全部捨てて行こう。大丈夫、どんなキツい稽古も耐えてきた俺たちじゃないか」

 そして、試合前に皆で円陣を組んで叫んでいた言葉を最後に付け加えた。

「一意奮闘、俺たちならやれる」
 
 
 
 行きつけのコンビニエンスストアでの買い物を終え、喜多村は夕暮れの町を歩いていた。夜から雨という予報は恐らく当たるのだろう。厚い雲が夕日を覆っており、日没と変わらぬ闇が町に訪れている。
 駅から徒歩5分に位置する賃貸アパートの階段を上り、喜多村は住み慣れた2階の角部屋に入る。六畳一間の狭い物件であったが、独身である喜多村はこの部屋に対して特に不満はなく、かれこれ10年はここで衣食住を済ましていた。買い物袋を部屋の隅に起き、部屋着に着替えるため、備え付けのクローゼットを開けると、無造作に置かれている剣道の防具袋と竹刀袋が自然と目に入る。
 喜多村は週に2回ほど、町の道場で小学生を相手に剣道を教えており、どんな形であれ、幼少の頃に始めた剣道を今も継続している自分を誇らしく思うことがあった。
 しかし、あの同窓会以来、喜多村はこのクローゼットを開ける度に憂鬱な気分に襲われる。竹刀袋には外付けで木刀が収納されており、その木刀は学生時代から型の練習で使用している年季の入ったものであるが、高校時代に五味へ制裁を加える際に使った木刀がまさにこれであった。
 あの夜は、きっと全員がどうかしていたのだろうと思う。いくら監督の指示とはいえ、人を傷付けるために木刀を使用することは、武道家として決してあってはならないことなのだから。
 着替えを手短に済ませ、忌まわしい過去に蓋をするかの如く、喜多村はクローゼットの扉を閉めた。

 コンビニ弁当を食べ終え、夕方のニュース番組を見ながら缶ビールを飲む。いつものお決まりのルーティーンであり、この瞬間こそが至福の時であると喜多村は常々考えていたが、今日は少しも気持ちが安らぐことはなく、喜多村はテレビの天気予報に釘付けになっていた。レポーターが都内某所から中継をしており、そこでは既に雨がシトシトと降り始めているらしい。
 都心から比較的近い位置にあるこの町は果たしてどうなのだろうか。部屋の窓はカーテンが閉まっており、外の様子は分からない。喜多村は立ち上がり、ベランダに繋がる大きな窓の前に歩み寄る。カーテンに手を掛けた時、喜多村はふと嫌な予感に襲われた。
 もし、既にこの町でも雨が降っており、カーテンの向こう側に五味がいたとしたら…。ベランダから窓にベタリと張り付き、部屋の中にいる喜多村を恨めしそうな目で見る腐乱した五味の姿。薄ら笑いを浮かべ、ガラスにでっぷりとした腹を押し付ける五味の鮮明なイメージ映像が喜多村の脳裏を過り、カーテンに掛けた手を思わず引き戻す。
 …念には念を入れた方が良いのかも知れない。
 喜多村はクローゼットを再び開け、あの木刀を手に取る。仮に、カーテンの向こう側に五味がいたとしたら、窓ガラスもろとも五味の喉元にそれを叩き込んでやろうと考えていた。
 五味をここで葬り、全てを終わらせる。決意を固めてカーテンを勢いよく横にスライドさせると、そこには喜多村が懸念していた光景は無く、いつも見ている静かな町並みがあった。安堵の溜息を漏らしつつも、片手に握った木刀を離すことなく、ベランダへと出る。予報通りに小雨が降ってはいたが、周囲を見渡しても五味はおろか、人通りさえもろくにない。
 …いくら何でも警戒し過ぎなのかも知れない。
 喜多村は自嘲気味に笑うと部屋に戻り、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、一斉送信でメンバーにこう送った。

「こちらでも雨が降り始めている。みんな、戸締をして決して家からは出ないように。佐伯も何か変化に気付いたらすぐに教えてくれ」

 木刀を片付けて、飲みかけの缶ビールを一気に飲み干す。雨足が強くなったのか、部屋の中にいても雨音が微かに聞こえるようになってきた。どうも今日は気分が落ち着かない。そろそろ、風呂にでも入るかと思っていたその時、インターフォンのドアチャイムが室内に鳴り響いた。驚きのあまり腰を浮かした喜多村は、反射的に首を捻って玄関先の映像が映し出された真後ろのモニターに視線を移した。
 何者かが俯いて立っているのは分かったが、ややカジュアルな服装から、宅配業者や新聞の勧誘とは明らかに違うことは分かった。再び鳴るドアチャイム。喜多村はおそるおそるモニターに顔を近付ける。玄関先の相手が俯いていた顔をゆっくりと上げ、喜多村はそこでようやく、相手の正体が先日失踪した伊口であることに気が付いた。

「伊口、無事なのか?!五味に一体何をされた?!」

 モニター下の通話ボタンを押して話し掛けても伊口に反応はなく、虚ろな表情でゆらゆらと体を左右に揺らしているばかりだった。

「待ってろ、今そっちへ行く」

 喜多村は大急ぎで玄関に向かい、内鍵とチェーンロックを外す。ドアを大きく開けると、伊口が喜多村に覆い被さるように倒れ込み、咄嗟のことで体重を支えきれなかった喜多村は派手に押し倒され、玄関前の廊下に頭を打つ結果となった。その反動でポケットから飛び出たスマートフォンが廊下を滑る。伊口は両目を左右あべこべに動かしながら、喜多村の両肩を強く押さえ付ける。そして、さながら熱い接吻でもするかのように顔を徐々に近付け、大口を開けた。

「おい、伊口!伊口!!」

 強打した頭の痛みを堪えながらも、喜多村は真上に覆い被さる伊口の頭を両手でがっしりと掴む。左右に世話しなくギョロギョロと動く目玉。土気色のその顔は、生者のそれとは明らかに異なっており、首筋の肉の一部が何者かに噛み千切られたかのように欠損しているのが見てとれた。
 …クソ、そういうことかよ。
 全てを察した喜多村は、伊口の頭をホールドしていた右手を即座に離し、残った左手で伊口の頭を廊下右側の壁に叩き付けた。両肩を押さえ付けていた力が抜けていく隙を逃さず、喜多村は伊口を押し退けて廊下を這うように逃げ出した。落ちていたスマートフォンを手に取り、素早くタップする。メンバーの誰でも良い。とにかく、この情報を誰かに伝えたかった。

「はい、佐伯ですが」

 ふいに右足を強い力で引っ張られ、喜多村は床に顔を強打する。

「さ、佐伯、五味に消された人間はヤツの仲間だ。アイツの怨みは他の人間に」

 …伝染する。そう続けようとしたその時、喜多村は右足を万力で締め付けられたかのような激痛を覚え、自分の意識が遠ざかっていくのを感じた。
 
 

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