7時限目 〜散華〜

 保健室のベッドで、小さな呻き声を上げて眠る与那嶺を不安そうな面持ちで見守る室岡。彼女の脳裏に先程の惨劇が過ぎる。シャッターの下から見えた、あの時の佐藤君の顔は紛れも無く…もうやめよう。過ぎてしまったことなのだ。それよりも、後藤さんが…あの後藤さんが死んでしまった。彼女は、私の力を信じてくれた唯一の人間なのに。

「吉永達、生きてるかな」

 奥の椅子に座っていた相楽がボソっと呟く。廊下に吐瀉物を撒き散らした後、しばらくは放心状態であったが、ようやく正気を取り戻したようである。足の怪我も軽傷で済んだようだ。
 室岡は深く頷くと、おもむろに目を閉じ両手を頭上に翳す。

「…届かない」

「は?」

「私たちの未来が、届かない。いつもは受信できる筈なのに」

 それ、圏外じゃない?と相楽は苦笑しながら脳内で返答する。室岡は学内でかなりの変わり者と聞いていたが、まさかこれほどまでとは。ゾンビの次は超能力少女…悪い夢なら早く醒めてほしいと相楽は思う。

「圏外…的を射ているかもね」

 口に出していない筈の言葉に返答され、相楽は思わず絶句する。室岡は不敵な笑みを浮かべて相楽を一瞥すると、両手を静かに下ろして目を瞑った。何とも気まずい空気が流れる。
 その時、榊が水の入った青いバケツを片手に保健室へ入ってきた。

「与那嶺さん、大丈夫そうですか?」

 室岡は榊が持ってきたバケツにタオルを浸し、絞る。

「もう少し休ませてあげて。彼女、以前から軽い神経症を患っていて」

「神経症って…それ病気のことですよね?」

 驚きのあまり当たり前のことを言ってしまった榊であった。彼女は講堂で高らかに演説をする与那嶺の姿をふと思い出す。いつか自分もあんな風になりたい、と榊はよく思っていたものだが、その彼女が病気だったとは。とてもじゃないが、想像できない。

「凄いです。病気なのに生徒会長をやっていたなんて」

「そんなに重い病でもないし、定期的に抗うつ剤を飲めば簡単に症状を抑えられるの」

「一応聞いてみるけどさ、その薬はあと何日分残っているの?」

 奥で会話を聞いていた相楽が質問する。室岡は、タオルを与那嶺の頭にそっと乗せながら深刻そうに溜息を吐いた。

「もう無いわ」


 一方、先程のゾンビの襲撃に取り乱した緒方は、彼氏である陸上部の吉田の手を引っ張り、現在は2階の2−1の教室の角にひっそりと身を潜めていた。隣にいる吉田は不満顔である。

「隠れてる場合じゃない。先輩と一緒に戦わなきゃ」

 立ち上がろうとする吉田の腕を緒方が掴み、強引に引っ張る。吉田は危うく床に頭を打ち付けるところであった。緒方はひどく錯乱しているようで、先程から嗚咽のせいで言葉にならない言葉を喚いている。
先輩達はあのゾンビ達を殲滅することが出来たのだろうか…
 もしかしたら今頃みんな、あのクソ忌々しいスコップで殴り殺されているのかもしれない。吉田はいても立ってもいられず、緒方の腕を振り払った。ここで救助が来るまで恋人とイチャつくのも悪くないが、今は全員が生存することを優先的に考えるべきだ。

「悪い、俺行ってくるわ」

 後ろで泣き叫ぶ緒方を尻目に教室を飛び出すと、廊下を歩いていた何者かと衝突し、吉田は思わず尻餅を着いた。

「いってぇな、このバカ!」

 ぶつかった相手の正体は、同学年の不良グループである北原だった。その後ろにはアフロ頭の成島、3年の大林と池内もいる。

「あ、アンタたちか…っていうか、暇そうだけど今まで何やってたんだ?」

 まだゾンビと衝突した方がマシだったな、とウンザリした表情で吉田が皮肉タップリに聞いた。成島が学ランのポケットから“LARK”と書かれた赤い箱を取り出した。

「一服してただけだよ。何だ?お前は彼女とその…人前じゃ言えないようなことをしてたのか?」

 騒ぎを聞いていたのか、いつの間にか緒方が吉田の後ろにピッタリとくっついていた。吉田は返答に困り、下を向く。

「ま、そんなことはどうでもいい。あの保田とかいうデカ男は何処だ?」

 髭面の男、池内が吉田を睨み付けながら言った。その手には見慣れない、黒い光沢を放つ何かが握られている。あの形…例えて言うなら拳銃に似ている。そして、あまり信じたくないことに、その銃口らしきものは自分に向けられていた。

「あれ絶対オモチャだよ。100均で見たもん」

 緒方が吉田の後ろでボソリと呟いた。その言葉に池内が眉をピクリと動かす。吉田は自分の全身が凍りつくのを感じ取ると同時に、空気の全く読めない緒方に軽い殺意を抱いた。
 不良グループの頭である大林が豪快な笑い声をあげると、池内を目で合図し、拳銃を下げさせた。

「そう、コイツにとっちゃオモチャさ。まぁいい、保田に会ったら伝えといてくれ」

 大林は壁に寄り掛かると、学ランの内ポケットから大型のアーミーナイフを取り出し、その刃先を吉田に向ける。

「俺達は俺達で、勝手にやらせてもらう。勿論、食料もいらねえ。拠点は4階だ。そこに侵入した奴は、問答無用でぶっ殺す。以上だ」

 言い終えると大林を先頭にした4人は廊下を後にし、階段を上っていった。吉田はしばらく呆然と立ち尽くしていた。背中には、相変わらず緒方が密着している。
 …食料がいらない? あいつら、何を食べて生活する気だ?


 両肩に食料を詰めこんだスポーツバッグをぶら下げ、片手に佐藤のバットを持ち、金田は全速力で校舎を目指していた。隣には保田、後方には未だに吉永のことで頭がいっぱいの本山がいる。どうやら、吉永の囮が効いているのか、幸いなことに金田の愛しの後輩達であるゾンビ連中は1匹たりとも見当たらない。
 出発地点の校舎西口に辿り着くと、そこには榊と室岡の姿がガラス越しに見えた。

「無事だったんですね!」

 榊が急いで西口の扉を開けると、金田の持っているバッグを受け取る。保田は息を切らしながら校内に入ると、思わず廊下に座り込んだ。

「陽動作戦お疲れ!佐藤にもお礼、言っておいてくれ」

 金田は明るい表情で親指を立て、榊と室岡に言う。だが、その瞬間に2人の表情は一転して暗くなる。何か不吉なものを感じた保田は立ち上がる。

「まさか、奴らが侵入してきたのか?」

 室岡は俯いたまま答える。

「その…スコップで窓ガラスを割って侵入してきたの。最初に後藤さんがやられて、次に佐藤君が…相楽君も足を怪我してるし、与那嶺さんは未だに気を失っている」

 …佐藤が、やられた?金田は全身の力が失われていくのを感じた。それと同時に熱いものが胸に立ち込める。視界はぼやけ、周りの景色が歪んだ。
 
「嘘だろ…佐藤が死ぬなんて」
 
 金田はその場で崩れ落ちた。手に握られていた佐藤のバットがカランと音を立てて落ちる。保田も顔を歪め、小さく歯軋りをする。

「それで、ゾンビどもはどうした」

「榊さんが防火シャッターを使って東口の廊下を封鎖したわ。ねぇ、ところで…」
 
 室岡が辺りをキョロキョロと見回しながら言う。

「吉永君と…あの1年生の男の子は?」

 
 校舎が見えてきた頃、本山は2人に気付かれないように回れ右をし、吉永がゾンビを引き付けて走り去った方角へ走り出していた。長い間考えた結果、ようやく結論に辿り着いた。吉永先輩は生きていて、恐らく自分の助けを待っている。今日こそ、先輩の役に立てることが出来るのだ。憶測のない、あまりに呆れた考えではあったが、今の本山の気分は頗る高揚していた。
 道場の方から、何かを殴打する激しい音が聞こえた。本山は走るのをやめ、慎重に足を進める。目に飛び込んできたのは、道場の入り口を金属バットで殴り続ける4人の野球部員達であった。勿論、死人である。そして、ついに扉は崩壊し、彼らは我先にと道場内に上がりこんでいった。

「まさかあの中に先輩が…」


 同じ頃、道場の玄関でズッシリと重い日本刀を構える吉永がいた。学ランは脱ぎ捨て、腕を捲くったYシャツ姿である。負傷した頭部には手ぬぐいが巻かれていた。目の前では、ゾンビ達が扉を破壊して侵入を始めていた。文字通りの“道場破り”だな、と吉永は思わず苦笑する。
 間髪入れずに飛び掛ってきた1体目のバットをかわし、刀を斜めに振り下ろして敵の胴体に刃を食い込ませる。流石に上半身と下半身を分断するまでには至らなかったが、千切れ掛けたゾンビの胴からは、長い臓物が滝のように流れ出た。白いYシャツが血に染まる。切れ味は抜群であった。だが、名刀とはいえ消耗品である。人体を斬り続ければ、必ず刃こぼれを起こし、切れ味は鈍る。吉永は次に侵入してきた2体目に全体重を掛けた蹴りを放ち、その後続にいたゾンビをも薙ぎ倒すと、日本刀をベルトに挟んでいた鞘に収め、体を丸めながら外に飛び出した。
 地面に倒れこむと、すぐ目の前に新たな敵がいるのを察知し、素早く剣を引き抜こうと柄に手を当てる。

「わわッ 吉永先輩、僕ですよ!」

「本山?何でこんな所に…」

 吉永の頭を疑問と怒りが駆け巡るが、とりあえず今はここから逃げることが先決であった。後ろで倒れていた3体のゾンビが起き上がろうとしている。吉永は本山の腕を引っ張り、校舎に向かって一直線に駆け出そうとするが、吉永はそこでピタリと足を止めた。前方の霧の向こうから、ガラガラと音を立てる新たな影が見える。やがて、それがスコップを持った制服姿のゾンビであることが分かり、更にそれが10体以上の群れであることも確認できた。

「お前、後をつけられてたんだ」

 吉永の言葉に、本山は泣きそうな表情でその場に座り込んだ。

「先輩、先輩、ごめんなさい…」

 吉永は溜息を吐いて刀を引き抜く。後方からは野球部員のゾンビも迫っていた。全員を相手には出来ない。急いで腑抜け状態である本山の片腕を強引に引っ張り、とりあえず、校舎の真横に位置する校庭に向かって走り出す。そこにゾンビがいないことを祈りながら。しかし、校庭には物凄い数のゾンビが全校朝礼よろしく集合し、ユラユラと体を揺らしていた。ここはダメだ!急いで引き返そうとするが、後方には先程のスコップの集団と野球部員が同時に迫っていた。

「クソッ 本山、俺が相手をしているうちに西口へ戻れ」

「で、でも」

「早く行け。このままだと、お前まで斬っちまいそうだ」
 
 吉永は左足を一歩踏み出し、刀の鍔を口元の高さに持っていく“八相の構え”でゾンビの群れを睨み付けた。自分も刀も、無事では済まないだろうがやってやる。全員道連れだ。
 その時、前方の野球部員が突風に煽られるように地面に突っ伏した。続いて、スコップを持ったポニーテールのゾンビが妙な首の角度で倒れこむ。目を凝らすと、首には細い棒のようなものが貫通している。あれは…弓道の矢だ。間髪入れず3本目が飛んできて、今度は縦に並んでいた2体のゾンビの咽喉を見事に貫通し、両者はその場でだらしなく倒れこむ。完全に群れが崩れた。その隙を逃さず、吉永は前方に走りながら野球部員の首を切り落とすと、本山に向かって叫ぶ。

「早く来い!」

 我に返った本山が慌てて吉永の後を追う。しかし、地面に倒れこんでいたゾンビがその足を掴み、本山は派手に転倒する。すかさず、周囲にいたゾンビ達が本山の頭部を次々とスコップで殴打する鈍い音が鳴り響いた。

「本山!」

 吉永は急いで引き返し、本山を殴っている1体の腕を切り落とした。再び矢が飛んできて、周囲のゾンビ達の胴体に次々と突き刺さる。吉永は地面に横たわる本山の腕を掴むと、そのまま強引に引っぱり群れから引き離そうとする。しかし、本山の足を掴んでいるゾンビが大口を開けると、本山のズボンごと脛の一部を食い千切った。吉永は小さく舌打ちすると、そのゾンビの頭部に日本刀を深く突き刺し、引き抜く。もはや満身創痍の本山の腕を自分の肩に回して立ち上がらせると、そのまま校舎西口に向かって走り出した。

 

 意識が朦朧としている本山を校内の廊下に座らせ、吉永は小さく震えていた。頭部に巻いていた手ぬぐいは今、本山の足に巻かれている。それを緊迫した表情で見つめる室岡、保田、相楽がいた。

「噛まれたの?」

 室岡が本山の血塗れになった足を見て、尋ねる。しかし、吉永は無言のままだった。

「な、なぁ吉永」

「分かってる!」

 相楽の言おうとしていることは分かった。このままでは、本山はゾンビになる。だが、だからといって、どうしろというのだ。

「せんばい…」

 ずっと下を向いていた本山が顔をあげる。スコップで殴打された頭部からも、絶え間なく血液が流れ出ていた。意識があるのが奇跡だった。

「せんばい、殺じで、ごろじでくだざい…」

 本山が腕を伸ばし、吉永の刀を握る手に触れる。室岡は黙って目を瞑り、保健室へと引き返していった。相楽も思わず目を瞑る。

「出来ないなら、俺が代わってやる」

 後ろから投げかけられた保田の言葉を無視し、吉永は刀を上段に構えた。

「ぜんばい、僕、なんの役にも、だでなぐでで」

 本山の体が大きく痙攣しはじめた。口元からは異常な量の涎がボタボタと流れ落ちている。吉永は目を大きく開き、刀を振り下ろした。本山の頭部が廊下を転がる。自分が涙を流していることに気付いたのは、ずっと後になってからであった。


 本山の遺体は教室から拝借したカーテンで巻き、若宮教頭と同じく2階の備品倉庫へと運んだ。吉永は相楽と倉庫から出ると、廊下の窓からボンヤリと外を眺めている榊の後ろに立つ。

「さっきは助かったよ。アンタだったんだろ」

 榊は振り返り、小さく頷く。室岡が、吉永と本山がいないことに気付くよりも早く、榊は保健室に置きっ放しにしていた弓を取りに走り、2階の窓から身を乗り出して2人を援護していたのだ。

「でも、矢は全部使っちゃったんです。もう、これをアテにすることは出来ません」

「もう、使う必要もないよ」

 相楽の言葉に榊は賛同できなかった。食料も手に入った。後はバリケードを強化し、救援がくるまで篭城するだけだ。もう、誰も血を流さなくて済む。榊は自分にそう言い聞かせたかったが、まだ、どうしても胸騒ぎを抑えることは出来ない。教師が失踪したのも謎のままだし、先程合流した吉田と緒方の2年生カップルの話では、不良グループは自分達だけの社会を形成しようとしている。こんな不気味な場所で、長期間生活できる自信がなかった。それに、生徒会長の具合も思わしくない。彼女の精神が限界を迎えてしまう前に、救援は来てくれるだろうか。いや、そもそも救援なんてくる保障はどこにもないのだ。この町だけではなく、日本中にこの現象が蔓延しているのだとしたら…
 考えるのが恐ろしくなり、榊はそこで思考を停止させて再び窓から外を眺める。霧が真っ赤な夕日に照らされ、辺りを血のように赤く染めていた。

 

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