5時限目 〜惨劇〜

 

 腕時計の針が2時を指していた。金田は今、佐藤が教室に置き忘れていた野球バットを握りしめ、校内の西口に立っている。バリケードの張り巡らされた扉の向こうには、溢れんばかりのゾンビが大口を開けて彷徨っていた。
 保田が立てた計画はこうだ。まず、外をうろついているゾンビを分散させる為に、校内東口へとゾンビを誘導させる。手薄になった西口から全速力で学生寮に飛び込み、ありったけの食料を調達、後は再び校内に戻り、ひたすら救助を待つ、というものだ。
 寮へと向かうメンバーは保田、金田、吉永、そして本山の4人に決まった。保田以外は公平に籤引きで決めた。もっとも、やる気の無い不良グループと戦力外の女子グループを除いて、ではあるが。

「覚悟は決めたか?」

 両肩に教室から拝借したスポーツ用のドラムバッグを下げた保田が金田に問う。

「俺はヤツの頭を消火器でブチ割ったんだぜ。アンタの方こそ覚悟を決めな」

 金田は何故か誇らしげに言い放ち、佐藤から借りたバットを片手で器用に回し始める。気分は既に百戦錬磨の戦士であるようだ。2階の階段から吉永と相楽、そして本山が降りてきた。本山は保田と同じく、両肩にスポーツバッグを下げている。
 一方、吉永の方はデッキブラシのブラシの部分を外した、ただの木製の棒を片手に持っているだけであった。

「もっとマシな武器は無かったのか?」

 金田が呆れ果てた様子で尋ねたが、吉永はそれを無視する。

「教頭の件で既に分かっているとは思うが、あいつらに噛みつかれたら終わりだと思え」 

 外の様子を伺いながら、保田が3人に忠告をし終えると、ベルトに挟んであったトランシーバーを取り出した。

「こちら西口、準備は完了した。始めてくれ」

 

 校内東口には、体育準備室から借用した拡声器を持った佐藤が西口の金田と同様に、外の光景を眺めている。霧は一向に晴れる様子も無く、太陽の光を不気味に遮断していた。その後ろでは吉田と緒方のカップルが手を繋ぎ合い、不安そうに廊下の窓ガラスを凝視していた。

「東口、了解」

 すぐ後ろの廊下に尻をついて座り込んでいた与那嶺がトランシーバーで答えると、側に立っていた後藤、室岡が思わず息を飲む。

「よし、やるぞ…」

 佐藤が拡声器のスイッチを入れ、大きく息を吸う。後ろにいた女子3人が一斉に耳を閉じる。次の瞬間、佐藤は思いっきり叫んだ。

 

「あのアホ…」

 金田は今すぐに佐藤を殴りに行きたい衝動に駆られた。

「これ、何て言っているんですか?」

 本山が耳を半分塞ぎながら金田に問う。

「“バカ金田ー!”でしょ。やることが小学生並み」

 相楽が笑いを堪えながら本山の質問に答えた。

「だが効果は覿面のようだ」

 保田の言うとおり、外にいたゾンビは一斉に動きが活発になり、西口から離れていく。どうやら相当混乱しているようだ。
 

 東口の扉の向こうでは予想通り、ゾンビが集合を始めていた。吉田と緒方が廊下の窓を手で執拗に叩き、更に連中の注意を惹かせる作戦に出ている。後ろに立っている与那嶺が不安そうな面持ちでその光景を見ている。

「あんまり集めすぎると、バリケードが破られてしまうかもしれないわ」

「そん時はそん時さ」

 叫ぶのをやめた佐藤が素っ気なく答えた。しかし佐藤はゾンビ達のある異変に、まだ気付いていなかったのだ。

 

「よし、バリケードを外せ」

 保田の指示で、相楽が西口扉に打ち付けた木板に力を込めて剥がし取る。

「扉を開けるんだ。音を立てずに、な」

 扉に手を掛けて4人の方へと向く相楽は、自分のお気に入りである恐怖映画のことを思い出した。蘇る死者が人を食らう世界、2人のSWAT隊員はショッピング・モールを拠点に立て篭もる。しかし今、目の前にいるのはバットを持った野球部の男と、デッキブラシの柄を持った剣道部の男…これは何の冗談なのだろうか。

「みんな、食料は頼んだよ」

 扉を静かに横へとスライドさせた。4人が一斉に外へと飛び出すと相楽はすぐに扉を閉める。既に4人は霧の彼方へと消えていた。

「こちら西口相楽、4人は出発したよ。引き続きヤツらの誘導を頼む」

 相楽がトランシーバーで東口のメンバーに連絡を入れた。しかし応答は返ってこない。代わりに、廊下の向こうから女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。相楽は最悪の事態が起こったのだと確信した。

 

 東口では緒方が絶叫に近い声を上げていた。佐藤と吉田は目の前の光景をただ、唖然として眺めるほかなかった。東口に集合を始めたゾンビは全員、何故か片手に金属性のスコップを握りしめていたのである。今、そのゾンビ達が一斉にスコップを振りかざしていた。

「あ、あんなもの、どこで手に入れたんだ?」

 佐藤が扉から静かに後退を始める。

「逃げなきゃ…みんな殺されるわ!」

 緒方が取り乱した様子で吉田の片手を掴み、廊下の向こうへと駆け出した。階段を勢いよく上る足音がそれに続く。

「どうする…の?」

 与那嶺が焦りを隠せない様子で佐藤に問う。次の瞬間、まるで与那嶺の問いに答えるかのように、ゾンビの振り上げたスコップが一斉に振り下ろされた。窓ガラスに大きな亀裂が入る。

「ねえ!どうするの!?」

再び与那嶺。佐藤は真っ青な顔で小さく呟く。

「分っかんねぇ…」

 ゾンビ達が再びスコップを振り上げ、そして力一杯振り下ろす。砕け散るガラス、突き出される腕、剥がれ落ちる木板…。そして2人の青白い生徒がそこから侵入を開始した。与那嶺は、隣に立っていた後藤と室岡に何かを告げると、その2人は後ろを振り返り、すぐ近くにある「職員会議室」へと走り出した。
 廊下の向こうから相楽が包丁(大急ぎで2階調理室から取ってきたものだ)を手に駆けつけるが、進入してきたゾンビを目撃した瞬間にピタリと足を止め、その場で凍り付いてしまった。

「クソッ やるしかねぇ!」

 佐藤が開き直ったかのように言うと、侵入してきたゾンビ、太り気味の男子生徒の方に向かって歩み寄る。そして、その生徒の突き出た腹に向かって全体重を込め、蹴りを繰り出した。太った生徒は後方に大きく倒れ、そのすぐ後ろにいた眼鏡を掛けた女子生徒をも薙ぎ倒した。手に持っていたスコップが宙を舞う。佐藤はすぐさまそれをキャッチし、両手で握り締めた。

「プレハブ小屋にあったスコップだ…」

 佐藤はスコップをまじまじと眺めていたが、倒れた2人がゆっくりと起き上がるのを視認すると、急いでそれを振りかぶり、先頭の太った男子生徒の頭部へと力強く叩きつけた。ブチュッと不快な音を響かせ、彼の頭蓋骨は砕けた。佐藤は更にスコップを横に振り回し、その後方にいた眼鏡を掛けた女子生徒の首に叩きつける。彼女の眼鏡は瞬時に砕け、首は不自然な角度へと曲がった。既に動かなくなった彼女の手から、佐藤は再びスコップを奪い取る。外にいる集団は我先にと、再び進入を開始しようとしていた。

「ちょっとどいて!」

 後藤と室岡が長机を2人で引きずりながら現れ、佐藤に叫ぶ。どうやら先程与那嶺に言われ、会議室から運んできたもののようだ。佐藤が急いでその場から引き下がると、後藤、室岡、与那嶺の3人が廊下の半分ほどの幅のある長机の手前側を持ち、いまやガラスも割れ、バリケードも剥がれ落ちた東口へと勢いよく押し出した。そこから進入しようとしていた新たな集団は、突進してきた長机に弾き出され、後方に大きくよろける。しかし衝撃を免れた何体かが、長机を突破しようと、這い上がってきた。その中の1体…ポニーテールの女子生徒が後藤の腕を両手で掴み、外へと引きずりだそうとしていた。

「イヤ、離して!」

 爪が食い込み、血が滲む。声にならない絶叫を上げる後藤。与那嶺が必死で後藤の腰を掴み、体を引っ張るが、食い込んだ爪が腕の上を移動し、鮮血が迸った。後藤が一際大きく絶叫を上げる。自分の行いが後藤を苦しめていると悟った与那嶺が力を抜いた瞬間、後藤の体は外へと投げ出された。地面へと倒れこんだ後藤に一斉に群がるゾンビ。彼女の姿はもう見えない。

「そんな…いや…」

 放心状態の与那嶺がその場で倒れこむ。どうやら貧血を起こしたようだ。佐藤と室岡が急いでそれを支えた。

「こっち!」

 聞き慣れない声を2人は耳にし、思わず振り返る。廊下の向こうに立っていたのは小さな影…1年弓道部員の榊だった。

「防火シャッターを使うんです!」

 榊が天井を指差す。ちょうど、東口へと続く廊下を分断するような形で防火用のシャッターが設置されていた。榊の言葉に2人は納得し、急いで与那嶺を支えながら廊下へと走り出す。榊が壁に設置してある降下スイッチのアクリル製の保護カバーを突き破り、ボタンを押すと、防火シャッターがゆっくりとした速度で降下してくる。

「駄目だ、遅すぎる!」

 佐藤がそれを見てその場で立ち止る。このペースでは防火シャッターが下りる前に、侵入してきたゾンビが廊下へと雪崩れ込んできてしまう。既に東口からは次々とスコップを持ったゾンビが進入を開始していた。

「室岡、生徒会長を頼む」

 室岡が頷き、与那嶺を支えながら、徐々に下りてくる防火シャッターの向こうへと移動した。

「おいバカ!見てねぇで手伝えよ!」

 榊の後ろで、未だ震えながら立ち尽くしている相楽に、佐藤が一喝する。
 相楽はハッとした表情をし、下降している防火シャッターの向こうにいる佐藤のもとへと駆けつけた。

「こっちの方が使いやすい」

 佐藤がゾンビから奪ったスコップの1本を相楽に手渡す。相楽は手に持っていた包丁をひとまずズボンのベルトに挟み、それを受け取る。東口から進入したゾンビたちが、スコップを引きずりながらこちらへと歩み寄ってきた。相楽はその光景が未だに信じられずにいた。武器…それもスコップなんかを振り回すゾンビは前代未聞であった。彼の愛する恐怖映画の中にはそんなものは存在しなかった。存在しないものが今、目の前にいる。それは想像を絶する恐怖であった。

「大丈夫か?行くぞ」

 青い顔をして震える相楽の背中を叩き、佐藤はゾンビの群れへと駆け出した。手に持ったスコップは、先程の戦闘で驚くほど手に馴染んでいる。佐藤はそのまま走り続け、その勢いで、群れの先頭を歩いていた小柄な男子生徒の腹部に、スコップを突き刺した。スコップはあっさりと貫通し、その後方に並んでいた1体をも巻き添えにした。佐藤はすぐさまスコップを引き抜き、小柄な男子生徒の左後方に控えていた、太った女子生徒のゾンビの顔面へと、スコップを横に振るった。ブレード部分が頬から口元にかけて突き刺さり、太った女子生徒は力を失う。その重みがスコップを通して佐藤に伝わり、すぐにスコップを手元に引っ張ろうとするが、予想以上に深く刺さったスコップをなかなか引き抜くことができない。そして次の瞬間、佐藤は背中に強い衝撃を感じ、短い絶叫を上げた。女子生徒のすぐ右隣にいた、坊主頭の男子生徒の振るったスコップが、佐藤の背中を直撃していたのだ。佐藤は反撃に転じようと、スコップを引き抜こうとするが、依然として抜ける様子は無い。

「やべぇかも…」

 いつの間にか佐藤は大量のゾンビに囲まれていた。たちまちスコップで袋叩きにされる佐藤の絶叫が廊下に木霊する。その声は、防火シャッターの降下する音をも掻き消し、相楽の戦意を喪失させるのには十分なものであった。

「お願い、佐藤君を…佐藤君を助けて!」

 半分近くまで下りた防火シャッターの向こうにいる室岡が、背を屈ませながら相楽に叫ぶ。

「か、勝てるワケが…」

 相楽は誰に向かってでもなく呟く。佐藤を囲っていたゾンビ達は、相楽の姿を視認すると、佐藤から次々と離れ、相楽の方へと向かって歩き出してきた。目の前まで迫ってきた坊主頭の男子生徒が片手でスコップを振り上げ、立ち尽くす相楽の頭部目掛けて振り下ろす。相楽は持っていたスコップで、それを反射的に薙ぎ払い、ほぼ無意識のうちに、男子生徒の坊主頭へと、スコップを力強く叩き込んだ。陥没する頭蓋から鮮血が迸る。ふと、後ろに殺気を感じ、相楽は咄嗟に振り向きスコップを構える。

「ご、後藤さん?!」

 いつの間にか相楽の後方へと回り込んでいた血塗れのゾンビ、その姿を見て相楽は思わずスコップを落とした。それは、つい先程、ゾンビに引っ張られ外に放り出された筈の後藤の姿そのものであった。

「ウソでしょ…」

 防火シャッターの向こうでも、室岡と榊が驚愕の表情で“後藤だったもの”を見つめている。相楽は、後藤の生命が感じられない、白濁とした目に恐怖を覚え、その場で凍りついた。後藤は相楽の両肩を掴み、顎が外れるほどの大口を開ける。相楽は咄嗟に両手で後藤を突き飛ばし、ベルトから包丁を引き抜くと、仰向けに倒れこむ彼女を片手で押さえつけ、首筋に向かって包丁を勢いよく突き刺した。噴きあがる鮮血を顔面に浴び、相楽の眼光が一瞬狂気に滲む。

「急いで!」

 叫ぶ榊の言葉に我を取り戻した相楽は、防火シャッターが完全に下りようとしているのを視認し、慌てて廊下を走りだす。自分の身長の半分ほどしか残されていない隙間を潜り抜けると、安堵の気持ちでその場に座り込む。顔面に返り血を浴び、ぼやける視界の中には、心配そうに見守る榊と室岡の表情が見てとれた。

「あの、佐藤君は?」

 室岡の問いに、相楽は目を閉じる。

「助けられる状況じゃなかった…」

 相楽がボソリと呟いたその時、床の直前まで下りようとしていた防火シャッターから、何かが物凄いスピードで飛び込んできた。相楽はしばらくの間、自分の身に起きた状況を理解することが出来なかったが、やがて、飛び込んできたモノの正体が人間の腕で、それが自分の右足首を掴んでいることに気が付くと、廊下に響き渡るほどの悲鳴を上げた。榊は咄嗟に相楽の制服を掴み、力の限り引っ張るが、足首を掴んだ手は離れようとしない。閉まる寸前の防火シャッターは進入した腕を挟みこみ、ゴトゴトと大きな音を響かせている。

「ちょっと待って!」

 室岡が青ざめた表情で、恐る恐るシャッターの下を覗き込む。腕を伸ばし、相楽の足首を掴んでいた者の正体を知ると、室岡はその場で凍りついた。

「佐藤君…」

 佐藤の手は、容赦なく相楽の足首を絞めつけた。爪が食い込み、自分の靴下が血に染まるのを相楽は恐怖の表情で見つめていた。ふと、自分の右手に包丁が握られていることを思い出し、それを勢いよく佐藤の手に突き刺した。

「グアッ!」

 その声は紛れも無く佐藤のものであった。包丁を引き抜くと、佐藤はすぐに腕を引っ込める。同時に、防火シャッターが完全に下りる音が轟いた。先程までの騒ぎが嘘のように思える静けさが、それに続いた。

「シャッターの向こう、見てましたよね?佐藤…さんは、アレになっていたんですか?」

 防火シャッターの前で放心状態の室岡の背中に、榊の声が投げかけられた。

「分からない…顔は血だらけだったけど…」

 室岡が答えると、相楽の顔に動揺が走る。ゾンビに囲まれ、スコップで殴打され、悲鳴を上げる佐藤。相楽が見ていたのはそれだけであった。佐藤はゾンビに噛まれていなかったのではないか?その疑惑が相楽の頭を駆け巡る。防火シャッターから伸びてきた腕は、自分を襲うためではなく、助けを求めていたのだとしたら?…それを包丁で刺した自分は?

「さ、佐藤君はゾンビに噛まれていた…それは間違いない」

 自分に言い聞かせるように、相楽が声を大にして言った。

「足…大丈夫なの?」

 室岡が、相楽の血塗れになった足首を見て、心配そうに声を掛ける。相楽は小さく頷くと、壁に手を付いて立ち上がった。

「とりあえず消毒しますから保健室へ…与那嶺さんも、ベッドに寝かせてあげた方がいいですよね?」

 榊の言葉に室岡が頷き、倒れている与那嶺の片腕を自分の首に回して立ち上がらせた。榊も、慌ててもう片方の腕を取り、それを支える。与那嶺を支えた2人は保健室へと向かうため、歩き始めた。
 相楽はしばらくの間、防火シャッターの方を眺め続けていた。右手に握りしめた包丁が大きく震える。次第に、胃袋から熱いモノが込み上げてくるのを感じると、相楽は廊下に激しく嘔吐した。

 

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