2時限目 〜死者〜 

 稽古を終えた剣道部員たちが更衣室で帰る支度をしていた。既に完全下校時刻を過ぎた今、誰もが早く我が家へ帰りたかった。吉永もまた、その1人である。

「あー疲れた…さっさと帰ろうぜ、相楽」

 相楽は壁に寄りかかりながら練習前と変わらぬ姿勢で本を読んでいる。

「先輩、何読んでるんですか?」

 本山が尋ねると、相楽は一言、「本」とぶっきらぼうに言い放つ。

「いや、それは分かってます…」

 本山は相楽の態度に少しムッとしながらもそこは引き下がった。

「あんま後輩イジメんな」

 吉永が笑いながら相楽の読んでいる本を横から取り上げると、その題名を読み上げる。

「がいこつのりくみいん?なんだそりゃ」

「ホラー作家S・キングの短編集だよ」

 吉永はページをペラペラとめくると、気になるページを見つけて動きを止めた。そこには「霧」という題名が書いてある。

「お、タイムリーなのがある。どういう話なんだ?」

 相楽は開いているページを覗きこみ、ぶっきらぼうに答えた。

「霧の中から怪物が出てくる話、おしまい」

 簡単すぎる説明に吉永は半ば呆然とした。

「なんか怖そうですね」

 本山が会話に参加する。

「今度読ませて下さいよ」

「今度、な」

 相楽の意外な言葉に本山は驚いた。てっきり貸してくれないものだと思っていたからだ。もっとも、相楽にしてみれば適当に返事をしただけなのであるが。
 更衣室に残っているのは自分たち3人だけだという事実に気付いた吉永は本を相楽に返すと鞄を肩に担いだ。

「さ、早く帰らねーと黒崎のおっさんに怒鳴られるぜ」


 外は吉永たちの想像を遥かに超えた世界だった。霧は完全に学校中を包み込んでいる。3人はとりあえず校門のある方角へと向かった。

「こりゃ一体何だ?」

 吉永は手で目の前の霧を払いのけようとする。その無意味な行為に本山は思わず微笑んだ。

「普通の霧じゃない…」

 吉永が手についた水蒸気を制服のズボンで拭う。ネッチョリとした嫌な感覚がそこにはあった。校門まで来ると白さはより一層増していて、一寸先も見えない状態になっていた。吉永たちの他に、校門で立ち往生している生徒が3人程見受けられた。その中に吉永は見覚えのある人物を発見する。

「保田、何やってんだ?」

 同じクラスなのにラグビー部の保田とはあまり会話を交わしたことは無かったが、状況が状況だけに吉永は意を決して話しかけた。保田は無表情のまま吉永たちの方へ向くと、校門の外を指差した。

「さっき、向こうから悲鳴が聞こえた」

「悲鳴?」

 吉永が聞くと保田は頷いた。

「女子の声だったんだが、普通の悲鳴じゃなかった」

 相楽は校門から恐る恐る外の世界に一歩踏み出すが、保田が相楽の学ランの襟を掴みそれを止める。

「ここから出たら危ないぞ」

 保田に睨まれ、相楽は渋々元の位置に戻った。

「でも、このままじゃ帰れないよ」

 相楽がそう言い終えたその時、泥塗れのブレザーを着た女子生徒が校門にいきなり姿を現した。霧のせいで近くまで来ていることに気付かなかった一同は、それがまるで瞬間移動でもしてきたかのように思えて背筋が凍るのを感じた。女子生徒の顔は青白く、眼は何か恐ろしいものを見たかのようにカッと見開いたままである。
 それを心配したのか、立ち往生していた男子生徒の1人が声を掛けようと一歩前に出た。すると女子生徒はその青白い両腕を前に突き出し、男子生徒の肩を力強く握った後、顔を首筋に近づけた。それを見た吉永は、この2人がただ単に恋人同士なのだと感じたが、次の瞬間、眼を疑う光景が一同を釘付けにした。

「グッ」

 女子生徒の大きく開いた口が男子生徒の首筋を捉えた。歯が肉に食い込む嫌な音が霧の中に響く。コンクリートの地面に撒き散らされる血液は、辺りの霧の白さと相まって、不気味なほど美しく見えた。男子生徒は泣き叫びながら、その光景を唖然として見ている一同に助けを求めたが、その体を青白い女子生徒に押し倒されると次第に声も出なくなってきた。

「に、逃げた方がいいんじゃないか?」

 保田の横に立っていた男子生徒の1人が悲鳴のように言う。しかし再び悲劇は起きた。いつの間にか校門に現れた、今度は別の青白い顔をした男子生徒に肩を掴まれると、先程の生徒と同じように首筋を力一杯噛まれた。迸る鮮血。
 それを見た相楽は無言で踵を返し、真っ先に校舎へと向かって走った。それを追うように、吉永と本山も後を追う。保田はゆっくりと後ずさり、今起こっている信じられない光景を見て、極めて冷静に原因を追究しようとしたが、校門に立ちすくむ新たな複数の影を見た瞬間、歯を噛み鳴らしながら3人の後を追った。
 先頭を猛スピードで走っていた相楽は校舎の昇降口へと転がり込むと、そこで会話をしていた金田と佐藤に白い眼で見られ、慌てて状況を説明をする。

「ぞ、ぞ、ゾンビ…ひ、人が喰われた!」

 佐藤は目の前で興奮している男を唖然としながら見つめると、ようやく自分のクラスメイトだということに気が付いた。

「えーと、相楽君だっけ。何?テンパってどうしたの?」

 金田は同じクラスメイトだというのに、未だに思い出せず首を傾げている。
 相楽に続き、今度は吉永、本山、保田の3人が血相を変えて金田たちの前に現れた。

「おいおい、どーしちまったんだよ?」

 金田は苦笑いしながら目の前の男たちを見つめると、ふと霧の中から自分たちの元へ向かっていく複数の影に気付く。

「マズイ」
 
 保田が大急ぎで大扉を閉めると、青い顔をした生徒が窓にぶつかり倒れた。その後ろから続々と彼らは歩み寄ってきている。ここから僅かに見える校門からは絶え間なく青い顔の生徒が溢れ出ていた。全員両手を前に突き出し、低い唸り声を発している。

「…ゾンビだ」

 相楽がボソッと呟く。

「どういうことだよ!」

 金田は相楽の胸倉を掴んで怒鳴る。

「あいつらは何なんだ」

「霧の中から現れて、急に噛み付いてきやがった」

 吉永が相楽の代わりに言った。金田は相楽を掴んでいた腕を離すと、吉永を睨む。

「霧の中から?」

「そうだ。分かっているのはそれだけだよ」

「いや、まだある」

 保田が言うと、金田たちは彼の方へ向いた。

「連中は下校した生徒だ。間違いない」

 ゾンビたちが大扉のガラスをバンバン叩く音が響く。いつの間にか外はゾンビで溢れかえっていた。

「どうするよ、金田」

 佐藤は溜息を吐きながら頭を掻き毟った。 

「奴らは校門にいた生徒2人を食い殺した」

 保田は続けた。ガラスに右手を差し伸べると、ゾンビたちはそれを食い毟ろうと必死でガラス越しに掴もうとする。

「早く学校中を閉鎖しないと大変なことになる」

 保田が言い終えたと同時に、校内に凄まじい悲鳴が響きわたった。その場にいた全員が一斉に悲鳴の方へ顔を向ける。

「ああもう、今度は何だ」

 金田がイラつきながら下駄箱前の廊下へと顔を出す。保田は何か思い当たる節があるのか、顔を歪ませながら呟いた。

「職員玄関の方だ」

 全員がハッとした表情をした後、すぐに状況を理解した。奴らは職員玄関から侵入してきたのだ。金田は勇気を振り絞り、職員玄関へと続く廊下を左に曲がると、眼を覆いたくなるような光景を目撃した。
 玄関から侵入した男子生徒のゾンビ、床には首から出血をしている教師1名がのたうちまわり、それを立ち尽くしながら唖然と見ている教師数名。

「そいつから離れろ!」

 金田は持っていた鞄を、そのゾンビ目掛けて力一杯投げた。野球の専門誌と佐藤から借りた漫画によって重みを増した鞄が勢いよく男子生徒の頭部に命中し、壁によりかかるような形でズルズルと倒れた。

「金田!お前なんてことを…」

 教師数名の中にいた、野球部の顧問の高城が声を張り上げて言った。

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないンスよ」

 金田が高城に言うと、急いで職員玄関の大扉を閉め、内鍵を掛ける。その直後に、数体のゾンビが勢いよく外側のガラスに激突してきた。

「ウチの生徒じゃないのか…?」

 高城がそう漏らすと、金田は床で血を流しながら苦しんでいる教師を指差し、呆れたように言った。

「先生1人が襲われたんでしょ?普通の生徒じゃないっスよ」

 その場にいた教師が急いで、倒れている教師の元へ向かう。

「若宮先生、しっかりしてください!」

 若宮は首筋を押さえながら呻いている。押さえた指の隙間から絶え間なく血液が流れ出ていた。

「げ!ワカハゲの野郎ぶっ倒れてるぜ」

 後から来た佐藤が倒れている若宮を指差して叫んだ。

「おい貴様、教頭先生に向かって何て口を!」

 白衣に身を包んだ生物教師の堤が佐藤に向かって怒鳴った。横にいた保健教師の芳野がそれをなだめる。

「それより今は教頭先生と生徒を病院へ運ぶことが先決よ。誰か保健室から担架を持ってきて!」

「生徒?」

 金田が不審に思い芳野に聞き返す。

「もしかしてアレの事ですか?」

 先程金田の鞄が頭部に命中して倒れた生徒を指差す。

「そうに決まってるでしょう?」

 芳野がうつ伏せで倒れている男子生徒の前でしゃがみこみ、体を起こそうとした瞬間、男子生徒は急に起き上がり芳野の細い両肩を強く掴んだ。彼が大口を開けて芳野の首筋を捉えようとしたその時、堤の力強い蹴りが生徒の頭部にヒットし、彼の頭部は体から分離して廊下の向こうへ転がっていった。佐藤は転がってきた頭部を慌てて避ける。

「要するにこいつらは獣になっちまった、て事だろ」

 堤は白衣の袖で靴に付いた肉片を払った。芳野はショックのあまり、口元を押さえて震えている。高城が唖然とした顔で堤を見ている。しばらく沈黙が続いたが、いつの間にか数が倍以上になっている外のゾンビたちが玄関のガラスをバンバン叩き始める。

「そしてもうひとつ、俺たちは完全にこいつらに包囲されちまった」

 堤の言葉に金田は静かに頷いた。

「ま、まずは警察に電話だな…」

 高城が思い出したかのように慌てて携帯電話を取り出すが、液晶に表示される“圏外”の文字を見て顔を青くした。

「そういえば数時間前、職員室にあるテレビや電話が全部使えなくなったんだった…」

 高城が肩を落として落胆する。その隣では芳野が廊下の壁にもたれ掛かっていた。堤はそれを見ながら苦笑する。

「出来の悪いホラー映画みたいだな」

 佐藤はこんな状況で笑える堤の無神経さに顔を歪めながら、金田の肩を叩く。

「相楽たちは学校の閉鎖に向かった。俺たちはどうする?」

 金田は床に倒れて唸っている教頭の若宮を一瞥する。

「先生、俺たち担架を持ってきます。それと玄関、バリケードか何かで封鎖しといて下さいよ」

 金田はそう言い残すと、佐藤と2人で担架を取りに保健室へと向かった。

 
 その頃、相楽と本山の2人は外からのゾンビの侵入を阻止する為に、校内を周っていた。

「あの人、保田先輩でしたっけ?あの人が言うには、バリケードで1階の窓を全て封鎖する必要があるとか言ってましたけど…どうするんですか?」

 本山の言葉に相楽はウーンとうなる。

「とりあえず正面玄関は掃除ロッカーと教室の机を積み上げて封鎖できたけど、問題は廊下の窓だよなぁ。あの窓、全部で50以上はある」

 相楽が廊下で立ち止まり、窓に目を向ける。窓はゾンビの手の平がビッシリと張り付いていて、今にも割れそうな勢いでバンバンと叩いていた。

「そ、そういえば吉永先輩は何処行ったんですか?」

「校内に残っている生徒に呼びかけているらしい」

「そうなんですか……で、どうするんです?この窓」

 相楽は暫く窓を見つめながら考えた。

「板と釘…何処かにあるかな?」

 本山は何かを思い出す。

「あ、文化祭の出し物のゴミがまだ僕の教室にありますよ。確か大きめの板と釘が幾つかあった筈ですけど、持って来ましょうか?」

 相楽が頷くと、本山は走って廊下の奥に消えた。

 

 

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