〜13時限目 嗜虐〜

 扉の外で唸る草刈機、校内に鳴り響く火災報知器のベル。与那嶺は保健室のベッドの下で小さく蹲り、ひたすら震えていた。思い出すのは過去の記憶。中学生の頃、酷い苛めを受けて掃除ロッカーに閉じ込められた記憶。それ以来、与那嶺は「閉鎖された場所」「逃げ場の無い状況」を極端に恐れるようになった。特定恐怖症。医者からはそう診断された。
 そんな中、高校生活で生徒会長に立候補したのは1つの挑戦であった。敢えて、自分を逃げ場の無い状況に置くことにより、過去のトラウマを克服する。それは一種の認知行動療法であった。薬を飲み続け、説明の出来ない漠然とした不安感に立ち向かいながらも、与那嶺は生徒会長としての仕事を続けた。時には、講壇に立つ直前にトイレで嘔吐したこともあった。長く苦しい戦いの結果、与那嶺の症状は徐々にだが改善されつつあった。
 その与那嶺が今回の事件に巻き込まれたことは、もはや運命の悪戯としか言い様が無い。今、この学校は巨大な密室である。それはまさに「閉鎖された場所」「逃げ場の無い状況」を残酷なまでに再現していた。
 …死にたくない。室岡さん、金田君、今どこにいるの?
 震える手には、机のペン立てに無造作に入れてあったハサミが握られていた。


 吉永は暗闇の中で目を覚ます。体中が痛む…筈だった。あれだけの傷を負っているのだから、それは当然のことだと云える。だが、今の吉永の体を支配しているのは怒りでも苦痛でも無い、快楽だった。

「まだ、生きてるのか」
 
 闇に問う吉永。だが、返事は無い。

「…吉永、眼が覚めたのか?」

 静寂の後、聞き覚えのある声がすぐ隣から聞こえた。保田である。意識がはっきりとしてきて、ようやく吉永は自分の背中が壁に同化していることに気が付いた。いや、背中だけでは無かった。後頭部、両手足、まるで十字架に磔にされたキリストのような姿勢で、壁に面した体のあらゆる箇所が壁と一体化し、自由が封じられていた。ここは巨大な部屋だった。

「保田、ここは何処だ」

「地下…」

 部屋の遥か向こう側で保田とは別の、聞き覚えのある声が聞こえた。

「倉庫室の地下だ…でも、一体どうして」

 声の主は恐らく金田だろう。吉永が確証を持てなかったのは、部屋の中央にある巨大な“ソレ”から視線を反らすこと出来なかったからである。

「多分私達は全員、バケツ頭に拉致された」

 今度は室岡の声だ。吉永は、何に襲われても平気で生き延びそうな室岡が、今この場所にいることに強い衝撃を受けた。

「でも松島先生は私が倒した筈。犯人は黒崎先生か堤先生ね」

「いや、黒崎は俺と保田が殺した。畜生、堤の野郎だ」

 金田が悔しそうに呟く。部屋の中央にある巨大な“ソレ”が、ドクドクと静かに脈打っていた。それを虚ろな眼で眺めているのは吉田。その隣には、電動ドリルで空けられた腹部から、臓物を滴らせている緒方もいた。

「どうでもいい、どうでもいいや。何だか、とっても、気持ちがいいし」

 緒方はウットリとした表情で “それ”を見つめ続けた。
 

 宿直室。榊はベッドの下から、布で包まれた物を引っ張り出す。室岡が部屋を出て行って、もうすぐ40分。あまりに遅すぎると判断した榊は山崎をこの場所に残し、校内を徘徊している殺人鬼に文字通り“一矢”報いようと考えていた。矢は全て使い切ってしまったが、数日前、金田が遊び半分でモップの柄を削って作った手製の矢があった。先端には、調理室から調達したアイスピックが針金で結えてある。榊は手製の矢と弓を布から出すと、ベッドに座っている山崎の方へと向く。

「みんなを助けてくる。山崎君はここで待っていて」

 榊は廊下に出ると試合前のように呼吸を整え、緊張を押さえた。とりあえず、室岡が向かったと思われる屋上へと足を運ぶため、すぐ近くにある北側階段を上った。2階まで辿り着いた頃、榊は遠くからの不快なエンジン音を察知し、すぐ様廊下に飛び出た。案の定、廊下の向こうから榊を目掛けて走ってくる白衣姿、バケツ頭の姿があった。榊は小刻みに震える手で金田手製の矢を弓に掛け、力の限り弦を引く。
 …バケツが邪魔で頭部が狙えない。となると、狙いは胸部ね…
 バケツ頭は3メートル程前まで接近してきていた。手にした草刈機を大きく掲げた次の瞬間、榊の放った矢が白衣の中央へと突き刺さる。しかし、バケツ頭は全く動じる気配もなく、そのまま横に草刈機を振るった。

「っ!」

 咄嗟の判断で榊は上半身を屈めてそれを交わす。周囲に榊の髪の毛が舞った。頭の後ろの位置に結っていた髪がノコギリで切断されていた。間一髪で交わしたのも束の間、逃げ出そうと踵を返した榊の背中を、バケツ頭が大きく蹴り上げた。榊は短い悲鳴と共に廊下に倒れ込む。そこへ運良く、壁際に設置してある消火器が目に飛び込んできた。榊は急いで倒れた姿勢から消火器を掴むと、振り下ろされた草刈機の回転ノコギリを消火器で受け止めた。オレンジ色の火花が、両者の間で激しく散る。
 …もう、無理、駄目…絶対死んじゃうって、これ。
 榊は絶望的な状況に恐怖しながらも、決死の思いでバケツ頭を睨みつけていた。ふいに、消火器の強度に耐え切れなくなった回転ノコギリが2つに割れ、片方は天井、もう片方は榊の左肩に突き刺さった。榊は痛みに絶叫しながらも立ち上がり、ノコギリの刃を失って戸惑っているバケツ頭の側頭部に消火器を力一杯叩き付けた。大きく倒れこむバケツ頭。その瞬間、青いプラスチック製のバケツが外れ、そこへ生物教師・堤の顔が現れる。

「やっぱり堤先生だったんですね」
 
 榊は消火器を床に放り出し、倒れ込んだ堤の胸からアイスピック付きの矢を引き抜くと、堤の頭部、それも眼球を狙って力一杯突き刺した。

「授業はオシマイ。そうですよね、堤先生」

 堤の体から力が失われていく。同時に、極度の緊張と肩の激痛で疲労困憊した榊もまた、廊下に倒れ込むのだった。

 

 

 

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