12時限目 〜狂奏〜

 保田が殺人鬼と化した黒崎教師との死闘を繰り広げていた頃、室岡は女子宿直室に辿り着いていた。普段の姿からは想像も付かない形相で入り込んできた室岡に、榊は思わず言葉を失った。

「あ、あの、何かあったんですか?」

 榊の言葉を受け流した室岡は、宿直室内部を落ち着いて見回す。どうしていいのか分からない表情で立ち尽くす榊。その後ろでは山崎が無表情でベッドに座っている。

「あの2年生のカップルは何処?」

 室岡が息を切らしながら榊に尋ねる。しかし、榊の視線は室岡の襟元へと注がれていた。両耳から流れた血液が赤い染みを形成している。

「怪我…してるんですか?」

「2年生のカップルは何処に行ったの?!」

 室岡の怒号に、榊の体がビクリと跳ね上がるの。

「吉田さんと緒方さんですか?あの、確か、また緒方さんが屋上に行きたいとかで…」

「殺されるわよ。校内を殺人鬼が徘徊している。私の勘だけど、正体は堤先生ね」

 榊の背筋に冷たいものが走る。脳裏に浮かぶのは血塗れの男子トイレと北原の右腕。
 何より恐ろしいのは、室岡の勘は外れないということだ。

「私、連れ戻してきます」

 宿直室を飛び出そうとする榊の腕を、室岡は力強く引っ張り制止した。

「私が行く。榊さんはここで山崎君と身を潜めていて」

 室岡の気迫に押され、榊はドアノブに掛けていた指の力を緩めた。室岡は榊の腕を離し、おもむろに振り返る。その視線は、後ろで座り込んでいる山崎に対して向けられていた。

「山崎君、貴方には怪物が見えていたんでしょ?」

 山崎は俯いたまま口を開く。

「ずっと前から学校に怪物はいたよ。ただ、皆には見えていなかっただけ」

 室岡が山崎の座っているベッドに歩み寄る。

「それは怨霊とか生霊とか、人の霊魂に関すること?」
 山崎は過去に見た怪物達を思い出しながら、小さく首を振るった。

「多分、あれは学校の意思そのものだよ。アニミズムって知ってる?」

「生物・無機物を問わず、この世の全てのモノには魂が宿っているという考え方ね。日本では“汎霊説”なんて言われていたかしら」

「つまり私達人間と同じように、学校にも魂や意思があるっていうことですか?」 

 完全に蚊帳の外であった榊が、半分小馬鹿にした調子で2人に言う。正直、あまりに突飛すぎる会話に付いていけなかった。

「僕には学校の意思を見る力があったんだ。ただ、ある時その意思たちが…」

「具現化した。そうね?これは推測に過ぎないけど、貴方がロッカーに閉じ込められていたことに関係がありそうね。感情の爆発によって、今まで見ることしか出来なかった学校の意思が、現実世界に侵食を開始した。イジメを受けたのはいつからなの?」

 山崎は答えない。長い沈黙が宿直室を覆った。
 
「まぁいいわ。とにかく、2人はここで隠れていなさい。私は緒方さん達を連れ戻してくる」

 室岡が宿直室を後にすると、半ば放心状態にあった榊が山崎の隣に静かに腰を下ろす。

「…生徒をゾンビにしたり、教師を殺人鬼に変えるのが学校の意思だっていうの?」

「学校に訊いてみなければ分からないよ」

 山崎が床を見つめながら言った。



「こちら金田。吉永ぁ、今どこにいるんだよ」

 金田が必死にトランシーバーに呼びかける。だが、応答は無い。殺人鬼と化した剣道部顧問・黒崎を亡き者にした後、2人は1階を虱潰しに探索していた。そして今、2人の目の前には、首筋から大量の鮮血を滴らせて息絶えている池内の亡骸があった。

「吉永と最後に連絡を取ったのは何時だ?」

 保田が不安を隠しきれない面持ちで金田に聞いた。金田は泥酔した頭をフル回転させながら、記憶を辿り寄せる。

「いや、そもそもアイツからの連絡は聞いていないぞ。もしかして、バッテリーが切れたか?」

「意図的に電源を切ったという可能性もあるが、まさかな」

 不安を隠せない様子で保田が言う。金田は備品倉庫の扉が開放されたままであることに気付き、慎重に歩を進めて中を覗く。そこには、左胸から大量の出血をしたと思われる北原の遺体が、池内と同じように横たわっていた。

「うげっ、北原もかよ…。でも、一体誰がこんなことを」

「あの殺人鬼、黒崎だろ。もう行くぞ」

「でもこの傷口見ろよ。芝刈機のノコギリなんかじゃ、こんな細い刺し傷なんて…」

「吉永が殺ったって言うのか?馬鹿馬鹿しい」

 金田の言葉を遮るように言った保田だが、内心では今まで以上に動揺していた。
 …誰がどう見たって、こいつらは吉永の手によって殺された。一体、ヤツの身に何が起こったんだ?まさか黒崎と同様、殺人鬼にでもなっちまったのか?
 事の真相を知る為にも、保田は吉永に会わなければならなかった。



 その吉永は今、3階で白衣姿のバケツ頭と対峙していた。池内に撃たれた右肩が、今までの人生で体験したことのない、猛烈な痛みを訴えていた。左手1本で血塗れの日本刀を構えると、吉永は大きく深呼吸をする。
 …一難去ってまた一難か。なぁ相楽、俺ちょっと働きすぎじゃないか?
 バケツ頭が芝刈機を振りかざし、吉永に向かって駆け出してきた。吉永は歯を噛み締めると、相手と刺し違えるのを覚悟して、左手に握った日本刀を白衣の腹部に突き刺した。だが、刀は数センチの剣先部分しか刺さらなかった。その代償として、芝刈機のノコギリが吉永のYシャツを切り裂き、背中の肉を大きく抉った。吉永は苦痛に満ちた声を上げると、そのまま床に倒れてしまいたい誘惑を振り払い、大きく後方に飛んだ。

「限界か…俺も、刀も」
 
 誰に向かってでも無く言うと、左手に握られた日本刀を鞘に収め、静かに床に置いた。刀の消耗は激しく、もはや武器として利用することは不可能であった。追い討ちを掛けるかの如くバケツ頭が芝刈機を横に振るったが、吉永はそれを冷静にかわし、全体重を掛けた蹴りで相手を後方に倒した。
 …武器、武器、とにかく武器だ。それも刃物が好ましい…2階の調理室に行けば、あるか。
 朦朧とする意識の中、吉永は踵を返し、廊下を這うように走った。階段を転がるように下り、調理室に向かってひたすら走る。

「吉永!?」

 1階から階段を上がって来た保田と金田に声を掛けられ、吉永はピタリと足を止めた。

「お前らか…早く、逃げろ」

「吉永、1階に池内と北原の死体があった」

 保田が吉永を落ち着かせるように極めて冷静な口調で言った。

「殺したのは勿論、あのバケツの殺人鬼だよな?」

 あまりにも不自然な疑問形で問う保田に、吉永は全てを悟っていた。
 …つまり、こいつらまで俺を疑ってるワケか。……疑うだって?何を馬鹿なことを言ってるんだ、俺は。事実、俺が殺したんじゃないか。北原も、池内も、成島も…そして本山も。

「全部、俺が殺した」

 吉永の言葉に、保田と金田は凍りついた。

「理由はどうあれ、俺は人を殺したんだ」

「お前、酷い怪我だ…」

 吉永の背中から流れ出ている血液が足元へ円状に広がっていく。もはや、立っていられるのが奇跡であった。ゆっくりと前方に倒れる吉永を、保田は急いで受け止める。

「しっかりしろ、吉永っ」

「もう、日常には戻れない。俺の帰る場所はない」
 
 独り言のように呟く吉永に、保田は困惑の表情を浮かべる。

「おいおいおいおい、ソイツどうしちまったんだよ」

 後ろで成り行きを見ていた金田が、バットを肩に担ぎながら呑気な調子で言った。その数秒後、金田は自分の体が宙に浮くような奇妙な錯覚を覚えた。泥酔していた金田にとって、それは単純にアルコールのもたらす精神的な症状に過ぎないと考えていたが、物凄い力で首を絞めつけられている感覚に気付くと、ようやく自分の身に起こっている最悪な事態を悟った。自分は後ろから首を掴まれ、持ち上げられているということを。
 
「金田!」

 保田が叫ぶのと同時に、金田の体が階段の下へと消えた。その後ろに現れたのは、さきほど吉永と対峙していた白衣のバケツ頭である。金田は階段を転げ落ち、そのまま頭を強打したのか気を失っている。

「黒崎は殺した筈だが…まさか、もう一体いたとは」
 
 舌打ちする保田に、吉永は虚ろな表情で顔を上げる。

「多分、コイツは生物教師の堤だ。それより、黒崎を殺したって何のことだ?」

「何でもない。とりあえずここから逃げるぞ」

 保田は息も絶え絶えである吉永の腕を肩に回すと、そのまま廊下を走り出した。金田が倒れ、何一つ武器と呼べる物が無い今の状況では、逃げるが得策と判断したのである。
 しかし、バケツ頭の足は予想以上の速さであった。後方から聞こえる草刈機のエンジン音が次第に近付いてくるのを感じ取ると、保田は悔しさを露にした表情で後方を振り返った。次の瞬間、縦に振られた草刈機が保田の胸部を学ランもろとも深く切り裂き、その衝撃で弾き飛ばされた吉永は廊下に設置されている火災報知器に背中を激しく強打し、呻き声を上げて廊下に倒れこんだ。校内に、火災を知らせる非常時のベルが鳴り響く。

「こ、こんなところで…」

 保田は苦悶の表情で青色のバケツを睨みつける。胸を押さえる右手からは、絶え間なく血液が溢れ出していた。

「怪物め…」
 
 言い残すと、保田の体は前方に倒れた。

「や、保田ッ」

 保田が倒れるのを目撃した吉永は立ち上がろうとするが、体に力が入らなかった。バケツ頭は草刈機を床に放り投げ、倒れている保田の巨体をいとも簡単に肩に担ぐ。そして、空いた手で吉永の片足を掴むとそのままズルズルと引きずり、廊下を歩き出した。

「離せッ、クソッ!何処に連れて行く気だ!」

 吉永が最後の力を振り絞って暴れるが、バケツ頭は片足を持ったまま吉永を振り回し、頭部を壁に強打した吉永はそのまま気を失った。最後に脳裏を過ぎったもの、それは備品倉庫室で北原の残した言葉である。
“生きたままここに連れてくることが目的みたいだ”
 


 宿直室を出た室岡は、すぐ隣にある1階北側階段を使って屋上へと向かったが、そこには緒方も吉田もいなかった。殺人鬼に追い詰められて2人仲良く身を投げた、という最悪のパターンを想定し、室岡はフェンスから身を乗り出して地上を見下ろしてみたが、その試みは極めて無駄だということを思い知った。もはやこの霧は、一寸先をも確認出来ないほどに濃くなっていたのだ。
 室岡は無事に2人が何処かの教室で身を潜めていることを祈りながら屋上を後にすると、突然、耳を劈くような女性の悲鳴が響き渡った。

「遅かった…」

 室岡は声の主が緒方であることに確信を持つと急いで階段を駆け下り、悲鳴が聞こえた4階へと辿りつく。相変らず、この廊下には気色の悪い生物・通称青蛸が天井の蛍光灯に照らされ、ヌルヌルと這い回っていた。先ほどの悲鳴は苦痛を感じさせる呻き声へと変わり、ただでさえ不気味な廊下を混沌としたムードに仕立て上げていた。室岡は極力、青蛸を見ないようにして廊下を進むと、呻き声の聞こえる教室−音楽室の扉を、意を決して開けた。
 まず室岡の目に飛び込んできたのは、中央の床で倒れている吉田。次に、べートーベンなどの肖像画が飾ってある壁の近くで、こちらを振り返っているピンク色のバケツを被ったスーツ姿の男、そして…

「痛いよ…痛いってば…早く、早く殺してよ…」

 スーツ姿のバケツ頭に押さえつけられ、日曜大工で使うような電動ドリルでブラウスの上から腹部を抉られている緒方であった。腹部以外にも、手の平や肩に大量の出血が見て取れることから、殺すことなく徹底的に痛めつけられていたことが想像出来た。

「許せないッ…」

 室岡は怒りを露にしてバケツ頭を睨みつける。次の瞬間、ピンク色のバケツが見えない力で左右にバカっと引き裂かれた。そこに現れた顔は、室岡も良く知る、3−2担任の松島であった。遅刻してきた金田を独特の口調で怒鳴り散らした5日前の朝のことは、もはや何ヵ月も前のように思えた。

「松島先生、あなたも学校に残っていたのね」

 充血した目で松島を睨み続ける室岡。一方、バケツを失った松島は電動ドリルを床に投げ捨て、ピアノの上に置かれていた釘打ち機を手に取る。ここの教室は改装中であった為、様々な工具が至る所に置かれたままであった。
 その時、耳障りなベルの音が鳴り響いた。ちょうど同じ頃、2階の廊下でバケツ頭に投げ飛ばされた吉永が、不可抗力で押してしまった火災報知器が原因である。それはまるで、激しい戦いの開始を告げるゴングを彷彿とさせた。
 間髪入れず、松島は釘打ち機のロックを外してトリガーを引く。自分を目掛けて飛んでくる釘。室岡は小さく舌打ちすると、片手を突き出して見えない壁を形成した。壁と衝突した釘はくしゃくしゃの小さな鉄の塊となり、床にポトっと転がった。室岡の両耳から、再び血液が流れ出す。

「これ以上使ったら、もう…」

 室岡の呼吸が荒くなる。しかし、松島は再び釘打ち機のトリガーを立て続けに引いた。今度は複数の釘が、室岡の急所を意図的に避けて発射される。

「…やむを得まい」

 室岡が静かに目を閉じる。次の瞬間、突然松島の首が妙な角度で捻じれ曲がり、口から大量の血液をゴボゴボと噴出させた。松島は糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、ピアノに向かって倒れ込む。鍵盤が出鱈目な不協和音を奏でると同時に、既に発射された複数の釘が室岡の体の至る所に突き刺さる。室岡は短い悲鳴をあげると、そのままガクリと膝を付いて必死に呼吸を整えた。
 五月蝿く鳴り響く火災報知器のベル音は、いまや室岡の耳に届くことはなかった。彼女は完全に聴力を失い、視界も靄がかかったようにボヤけていたのだ。

「ここまでか…与那嶺さん、買い物、行けそうにない。ごめん、ごめんね」

 室岡は掠れた声で独り言を呟くと、そのまま床に倒れ込むようにして体を横たえた。

 

 

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