11時限目 〜混沌〜

 あれから1時間後。濃霧の先にある陽が落ちて、6回目の夜が訪れた。吉永、池内、保田、金田の4人は食料調達作戦の際に役立ったトランシーバーで連絡を取り合い、北原の遺体を探す為、校内の各所を虱(しらみ)潰しに巡回していた。
 長い捜索の末に、吉永は1階の備品倉庫室前に残された血痕を発見した。すかさずトランシーバーを口元に近づける。

「吉永だ。血の跡を1階の倉庫室前で見付けた」

 返答を聞くよりも先に、ピピピッという連続的な電子音が聞こえた。バッテリー切れである。仕方なく吉永は倉庫室のドアノブに手を掛けるが、そこでピタリと動きを止めた。内部から、細い穴を風が通り抜けるような異音が聞こえていた。
 …先に保田達を呼ぶべきなのだろうか?
 しばらく考えたが、左手に持つ日本刀をギュッと握り締めて決意を固めると、そのままドアノブを回転させて扉を開けた。
 電灯のスイッチを手探りで入れると、壁にもたれ掛かりグッタリとしている北原が視界に飛び込んできた。右手首を失った切断面からは、今も絶え間なく血液がボタボタと垂れている。

「お前…」

 即座に北原の側に寄る。顔は青ざめ、息も絶え絶えであったが、確かに生きていた。吉永は倉庫の隅にあったビニールテープを手に取り、北原の右腕部分に強く巻く。

「誰がこんなことを!?」

 北原は咽喉をヒューヒューと鳴らし、懸命に言葉を発そうとしている。風を通り抜けるような異音の正体は北原だったのだ。

「バケツの…はく、白衣の、おと、こ、だ…」

「白衣?」

 吉永は即座に生物教師の堤を思い浮かべる。

「アイツは…おれを殺ざ、なかっだ」

「どういうことだ?」

「生ぎ、だまま、ごごに連れてくる、ことが目的…みたい、だ」

 …生きたまま?目的は殺人では無いということか?
 テープを巻き終えた吉永は、北原の左腕を取り、肩に担いで立たせようとする。その時、吉永は北原が倒れこんでいた倉庫の床に亀裂が走っているのを発見した。よく見てみると、それは亀裂などでは無く、人工的に作られた扉であることが分かった。その証拠に鉄製のフックの様なノブが申し訳程度に付けられている。いつだったか金田が榊に向かって得意気に話したという、学校の七不思議の1つである「地下室の話」を連想させた。

「ダメ…だ…ヤツ、ヤツが、戻って、くる…なが、仲間をひぎづれで」

 北原が酷く脅えたような仕草で取り乱す。

「もう喋るな。ここから出るぞ」

「た、たのむ、もう、あんな目に遭いたくない…その、その刀で殺して、ぐれ」

 吉永は北原を立たせようとするのを止め、静かに肩から腕を下ろす。

「もう、生きたく…ない。お前が、剣道部の、後輩にやったように…たのむ」

 吉永は北原の血液塗れになった手で刀を抜く。北原は明らかに重症だ。今を生き延びたとしても、ロクな治療も出来ないここにいる限り、確実に死は訪れる。

「一体、一体俺は何人殺せばいい!こんなことを繰り返して、本当に日常に戻れるのか!」

「…け、剣道バカ…な、何か、言ったか?」

 精一杯の笑顔で言う北原。いつか、どこかで聞いたような台詞だ。吉永は両手で刀を握り締め、北原の左胸に剣先を力一杯突き刺した。
 ゼェゼェと息を切らし、放心状態の吉永はそのまま壁にもたれ掛かった。次の瞬間、ガチャッと音を立てて倉庫の扉が開けられた。

「北原…」

 池内だった。北原の亡骸を見つめるその顔は怒りと悲しみに満ちている。

「まさか、まさか本当にテメェが犯人だったとはな…」

 池内は自作の拳銃をベルトから取り出し、銃口を吉永に向ける。

「許さねえ。許さねえ、絶対に…!」

 自分に向かって引き金が引かれるのを、吉永はボンヤリとした表情で眺めていた。



「また1人死んだわ」

 保健室。室岡の報告を聞き、ベッドに横たわる与那嶺の体が大きく震えた。 

「いや、もしかしたら死んでいないかもね。2年の北原君が手首を残して失踪したの。いつも大林君達のグループと一緒にいた子よ」

 室岡は言い終えると、棚からコップを取り出して水道の蛇口を捻った。与那嶺は頭を抱えて上半身を起こすと、震える手でコップを受け取った。

「こんなことが一体いつまで続くの?」

 多少の苛立ちを感じさせる与那嶺の言葉に、室岡は意味深な笑顔で返す。

「今朝、ちょっとだけ未来が見えたの。あまり良い結末とは言えなかったけど、この物語にはもうすぐ終わりが来る。重要なのはそこだと思うの」

 与那嶺は室岡の能力の全てを信じているわけでは無かったが、今まで彼女の言葉に助けられてきたことは少なくなかった。そして、今この瞬間も与那嶺は室岡の言葉に大きな安堵感を覚えていた。コップの水を二口程飲み、室岡に手渡す。 

「室岡さん、あなたが居てくれて本当に良かったと思う。不安発作の症状も減ってきたし、抗欝剤が無くても何とか生活していけるようになった。もし全部終わったら、一緒に…その、買い物とか付き合ってくれない?」

 自分でも恥ずかしくなる、少女漫画のような台詞だ。与那嶺は俯きながら、室岡の返事を待っていた。生まれながら生真面目な性格で、その上生徒会長という地位にある与那嶺には、あまり友人と楽しく遊ぶといった経験が無かった。

「今の音、聞こえた?」

 期待していた返事とは全く異なる台詞に、与那嶺は思わず我が耳を疑った。

「え?音?」

「なにか、火薬…銃声みたいな音だったけど…」

 不安そうに辺りをキョロキョロと見回す与那嶺。室岡は保健室の扉を開け、ゆっくりと廊下に顔を出した。そして、廊下の向こうに立つ人物を見て体を硬直させた。頭にアルミ製のバケツを被った黒ジャージ姿の男。両手に握られている草刈機の円状ノコギリが、銀色の光沢を放っていた。視界が完全に遮られている状態なのにも関わらず、バケツ頭の男は室岡の姿を完全に視認したようで、勢いよく草刈機のエンジンを掛けると保健室の前で硬直している室岡に向かって全速力で駆け出してきた。
 
「買い物の話は後!与那嶺さんはここに隠れていて!」

 室岡はベッドで呆然とする与那嶺を保健室に残して扉を閉めると、目の前にまで迫りつつあるバケツ頭に背を向けて走り出す。しかし、バケツ頭は保健室の前で足を止め、草刈機でその扉を切り裂こうとしていた。その光景を目撃した室岡は走るのをやめ、バケツ頭を鋭い眼光で睨みつける。

「そこから離れなさいッ!」

 次の瞬間、バケツ頭の体が大きく後方に吹き飛び、勢いよく廊下に倒れこんだ。頭部を覆っているアルミ製のバケツが、ガアンという耳障りな金属音を響かせる。室岡も無事では無かった。彼女の両耳からは血液が細い筋になって流れ、首筋を伝っていた。眼球も酷く充血している。

「力を解放しすぎた。20年は寿命が縮まったか」

 室岡が独り言のように呟く。バケツ頭は立ち上がると、頭上に草刈機を振りかざしながらその場でクルクルと回りだし、今度は保健室には目もくれずに室岡を目指して一直線に走り出した。
 
「それでいいわ」

 室岡はクルリと背を向け、バケツ頭との死の追いかけっこを再開させた。廊下の角を曲がり、男子宿直室に向かって走り出す。吉永や保田達が死体捜索を終え、戻っていることを信じて。バケツ頭の足は予想以上に速かった。左右に振り回す草刈機が廊下の壁に当たる不快な音が校内に響き渡る。

「何の騒ぎだ!?」

 男子宿直室に行くよりも早く、保田が廊下の向こうから駆けつけてきた。室岡は足を止めることなく保田に叫ぶ。

「すぐ後ろにいるわ!」

「後ろ…?」

 保田が迫りくるバケツ頭を見て目を丸くすると、急いで室岡の後を追う。

「あれが殺人鬼の正体か」

「恐らく。正体は分からないけど、あのジャージ姿には見覚えがあるわ」

 殺人鬼に追い掛け回されているというのに、いたって冷静な2人であった。

「お前、出血してるのか?」

 室岡の両耳から流れ出た血液はブラウスの襟元を赤く染めていた。

「気にしないで。それより、何かプランはあるの?」

「俺が奴を引き付けて始末する。それまで全員に隠れるように言っておいてくれ」

 保田は早口で室岡に言うと、近くの1−2教室に入る。ここには、バリケードに使いきれなかった机や椅子が数台放置されたままであった。保田は手近の机を両手で持ち上げると廊下に飛び出し、間近に迫りつつあるバケツ頭に向かって放り投げた。バケツ頭の振るった草刈機が木製の机にめり込み、ノコギリの回転が止まる。エンジン部分からは白い煙が立ち昇り、黒ジャージ姿のバケツ頭は草刈機を机から外そうとジタバタしていた。保田は再び教室に入ると、折り畳んだパイプ椅子を片手で掴み、勢いよく振り回して頭部のバケツに叩き込んだ。アルミ製のバケツが金属音と共に凹み、バケツ頭はそのまま後方に音を立てて倒れこむ。

「素顔を見せてもらうぞ」

 ゼェゼェと喉を鳴らし、保田は倒れこんだバケツ頭のマウントポジションを取ってアルミ製のバケツに手を掛けた。しかし次の瞬間、バケツ頭は勢いよく起き上がり、保田の巨体はアッサリと床に投げ出されてしまった。

「保田ァッ!」

 雄叫びと共に誰かが走ってきた。金田である。手には佐藤の残したバットが握られていた。金田は走ったまま振りかぶり、既に凹んでいるバケツの箇所に追い討ちを掛けるかの如くバットを叩き込む。再び頭部のバケツが大きく凹み、バケツ頭はくぐもった呻き声と共に倒れこんだ。

「救世主登場だ!バカ野郎!」

 妙なテンションの金田がバットをクルクルと回し、倒れたバケツ頭に向かって叫んだ。

「お前、何か酒臭いぞ」

 礼よりも先に出た保田の言葉がそれだった。金田は紅潮させた顔でニヤリと笑う。

「大急ぎで缶ビール1本空けてきた。恐怖なんて宇宙の果てに吹っ飛んじまったぜ!」 

 金田は倒れているバケツ頭に近付き、何度も何度もバットをバケツに叩きつけた。妙な形に変形したアルミバケツが首元に突き刺さり、真っ赤な血液が噴出していた。

「ハァハァ、さすがに、死んだだろ…」

 金田はバットを放り投げ、その場に座り込んだ。保田は恐る恐るバケツ頭に近付き、動かないことを確認すると、歪な形に変形しているバケツを力ずくで剥ぎ取った。

「こいつは確か剣道部の…」

「黒崎のオッサンか。吉永と相楽の監督だな」

 未だに息の荒い金田が投げ槍な表情で言うと、保田は思わずハッとなる。

「そういえば吉永は何処にいる?」


 池内の放った弾丸で自分が宙に浮くのを感じた吉永は、倉庫の床に突っ伏していた。右肩が異様に熱い。ああ、これが銃で撃たれるということなんだな、と吉永は冷静な頭で考えると、右肩を押さえて立ち上がった。

「何で…何で北原を殺した!?」

 池内が怒りを露にし、再び銃口を向けてきた。指は既に引き金に掛かっている。どうやら完全に吉永が犯人だと決め付けているらしい。
 …いや、結果的に俺が殺したようなものか。トドメを刺したのは俺だ。

「答えろぉ、吉永ァっ!」

 2度目の発砲音。吉永は大きく前に踏み出す。自分の脇腹に弾丸が掠めるのを感じ取りながら、池内の鳩尾(みぞおち)の部分に左の肘を打ち出した。池内は倉庫から飛び出すように大きく後方へ倒れ、苦悶の表情を浮かべながら廊下をのた打ち回った。吉永は北原の胸部に刺さったままの日本刀を抜くと、その剣先を池内に向ける。

「勘違いも程々にしろよ、ヤンキー」

「このサイコ野郎が。仲間を裏切りやがって。今頃、お前の相棒も成島が…」

 池内が不敵に笑い、三度銃口を吉永に向ける。次の瞬間、吉永は何の躊躇いも無く池内の首筋に剣先を突き刺していた。激しい血飛沫が廊下を覆う。
 
「悪いな、正当防衛だ」

 吉永は冷たく言い放つと、腰の鞘に刀を乱暴に収める。池内は口から大量の吐血をすると、そのまま息を引き取った。


 3階をフラフラとした足取りで歩く相楽は異常な咽喉の渇きに襲われながら、水道へと向かっていた。足の痛みは未だに収まらない。
 …そろそろゾンビ化が近いのだろうか?もういい加減、ゾンビになってもいい頃だけど。
 過去に見たゾンビ映画を思い浮かべながら、相楽は水道へと辿りつく。自分の顔色を確認しようと鏡を覗くが、そこに自分の顔は写っていなかった。

「佐藤…」

 かつて、自分の見捨てた人間の死に顔が写しだされ、相楽はその場で嘔吐した。
 …佐藤はゾンビになっていた。だから、自分は無罪なんだ。
 呪文の様に言い聞かせると、相楽は今までに無い程に強烈な足の痛みを感じ、その場に崩れるように座り込んでしまった。

「よう、何してんだ?」

 声を掛けてきたのは2年のアフロ頭・成島だった。

「何してるんだろうね。最近、自分でも分からなくなってきた」

 泣きそうな声で言う相楽に、成島は表情をピクリとも変えずに歩み寄る。

「お前のお友達が、俺らの北原を殺したらしいじゃねえか。池内さんから聞いたぜ」

 成島の言葉に相楽は静かに顔を上げた。

「…吉永が?」

「そうだ。そして、お前も共犯とのことらしいぜ。最近、様子がおかしかったもんなぁ」

 成島が前方に駆け出す。手には大林の持っていたアーミーナイフが握られていた。相楽は咄嗟に立ち上がるが、その頃には胸にナイフが深く食い込んでいた。大林がナイフを抜くと、蛇口を捻ったように血液が溢れ出した。相楽は呻き声を発しながら廊下に倒れこむ。

「心臓は外した。北原の仇だ…苦しんで死ね」

「死ぬのはお前だ」

 何者かの声と共に、成島のアフロ頭が宙を舞った。首の断面から噴出す血液が廊下の天井を真紅に染めていく。頭部を失った成島は前のめりに足を縺れさせ、崩れ落ちた。

「吉永か」

 顔を上げずに相楽が言う。吉永は急いで相楽を仰向けにし、胸元を両手で押さえつけた。

「相楽…頼む、死ぬな」

「いや、もう駄目だ。俺は、俺はじきにゾンビになる」
 
 相楽は妙な笑みを浮かべながら、自分の足に巻かれている包帯を見た。

「佐藤に引っ掻かれたんだ。感染した。爪から感染って、昔そんなゾンビ映画あったよね。「デモンズ」だっけ…」

 相楽が言うと、吉永は無表情で包帯を剥ぎ取る。確かに傷はあったが、それはごく普通の引っ掻き傷であった。傷口はとうの昔に塞がっていた。

「相楽、お前…」

「早くトドメをさして、吉永」

「感染なんかしてない。お前、ずっと自分が感染したと思い込んでたんだ」

 吉永の信じられない言葉に、相楽は激しい笑いの発作に襲われた。
 …感染してない?それじゃあ、あの時自分が包丁で刺した佐藤の手は…

「嘘だ」

「感染なんかしてない。だから、しっかりしろ」

 佐藤を死なせた。その事実を認めない為に“佐藤はゾンビだった”という自己暗示を掛けた。しかし、その暗示が強すぎた所為で“ゾンビに引っ掻かれた=感染”という余計な認識までもが表層化してしまった…冷静に自己分析を終えた相楽は乾いた笑い声を上げた。
 …こんなの、こんなの出来の悪い恐怖映画の結末みたいだ。

「結局、俺は佐藤を死なせたんだな…」

「相楽!息だ、息をしろ」

「いや、もういいんだ…人殺しだからさ、俺は」

 相楽は静かに目を閉じた。胸元から溢れ出る血液が、廊下を這うように伸びていく。そしてその先に、青色のバケツを被った白衣の男が草刈機のエンジン音を唸らせ立ち尽くしていた。

 

 

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