STACY
ステーシー

監督:友松直之

脚本:大河原ちさと

原作:大槻ケンヂ

出演:加藤夏希、尾美としのり、林知花、内田春菊

ストーリー

 21世紀初頭。そこでは15歳から17歳の少女たちが、突然原因不明の死を遂げ、人間を襲うゾンビとなって蘇る怪奇現象が蔓延していた。人々はその少女たちを“ステーシー”と呼んだ。ステーシーを殺すには、体を165分割にバラすしか方法は無い。「再殺」の権利が与えられるのは親族と恋人のみであったが、どうしても愛する者を再殺出来ない者は、国家主導の“ロメロ再殺部隊”に依頼するほかなかった。また、自分がステーシー化した時の再殺を歌舞伎町の人気ホスト反町くん依頼する費用欲しさに“ドリュー違法再殺団”を結成する少女たちも現れた。

 絶望が世界を支配する中、人形使いの渋川は風鈴を持つ謎の美少女・詠子と出会う。ステーシー化を間近に控えていた詠子は、自分がステーシー化した時の再殺権を貰ってくれるよう渋川に依頼する。承諾した渋川は、詠子と共同生活をしていくうちに、彼女の不思議な魅力に惹かれていく。一方、ロメロ再殺部隊に入隊した有田は、ステーシーの研究施設へと派遣されるが、そこには以前文通をしていた“モモ”という名の恋人が研究材料にされていた。

 ある時、凄惨な研究の数々に精神崩壊した隊員の1人が、施設にステーシーの群れを解き放ってしまった。隊員達は次々とステーシーの餌食になっていく。 同じ頃、モモの再殺を父親に依頼されたドリュー違法再殺団は研究所へと潜入。ヌンチャク日本刀を駆使してステーシーを撃滅していく。有田は混乱に乗じてモモを連れ出すが、ドリュー違法再殺団と鉢合わせになる。有田の純粋すぎる恋心に心を奪われたドリュー違法再殺団は、モモの再殺を断念するものの、生きていたロメロ再殺部隊の隊員と銃撃戦になり相打ちとなる。有田も銃弾を食らい、モモの腕の中で息を引きとるのであった。

 公園で静かに眠る詠子。彼女の持っていた風鈴には「ありがとう、ごめんね、大好きだよ」の文字が書かれていた。ステーシー化して立ち上がる彼女を前に、渋川は風鈴の文字と同じ言葉を詠子に捧げ、チェーンソーを構えた。

 数十年後、ステーシーの人喰い行動は何故か沈静化した。人間とステーシーは共に愛し合うようになり、生まれた子供は新たな種として歓迎される。世界は愛に包まれた

レビュー

 大槻ケンヂの純愛ゾンビ小説「ステーシー 少女ゾンビ再殺談」を無謀にも映画化してしまった本作。やはりというか当然というか、あのブッとんだ原作を完全に映像化出来る筈も無く、超能力でゾンビを爆殺するドリューは、コスプレ3人娘に改変され、再殺部隊の面々も数名程度しか姿を現さない。例えそれらを多めに見ても、全体的にチープで貧乏臭く、ハッキリ言って自主映画クラスの出来といっても過言ではない。 しかし、主演2人のキャスティングだけは最高だったと声を大にして言いたい。加藤夏希のハジけた怪演は原作の詠子のイメージそのものだったし、そんな詠子に徐々に影響を受けていく渋川を、尾美としのりが哀愁たっぷりに演じきっている。この配役はベスト。渋川が詠子を再殺する直前に投げかける言葉に、思わずウルっとしてしまったなんて口が裂けても言えません

 原作では“ライダーマンの右手”と命名されていた再殺グッズのチェーンソーが“ブルース・キャンベルの右手”に改名されていたり、標本のステーシーを嬉々として刻む変態博士が「死霊のえじき」のフランケンだったりと、実は本作を嫌いになれない理由が多くある。 中でも秀逸だったのが、ステーシーとの攻防戦を繰り広げる隊員の1人が相棒に向かって唐突にゲイ告白をし、「アンタと死ねるなら本望だ!」と呟く。相棒は頭を掻き毟りながら一言「ばばばバカ野郎!…照れるじゃねえか」そうして2人は手を繋ぎ合い、ステ−シーの集団に食われていくのである。この映画は恥ずかしい程に“愛”を我々に訴えかけてくる。聞くところによるとこの監督、当時は妻と離婚したばかりで、その原因ともなった愛人にも見捨てられ、精神的にボロボロだったらしい。後半の愛情賛歌な演出は、恐らくそういった心境が影響していたのだろう。

 ちなみに原作者の大槻ケンヂは本作を観賞後、「七人の侍を100点とすると、この映画は−64点」と評したらしい。−100点じゃないところにオーケンの良心を感じた。

 

何故かコスプレ姿でゾンビを狩る「ドリュー違法再殺団」

 

「ブルース・キャンベルの右手」を構える渋川。哀愁タップリ

 

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