ディストラクションZ

製作:ルーク・シャッツエル、キャメロン・ロメロ

監督:ハミッド・トラブポー

脚本:ハミッド・トラプア

出演:トニー・トッド、レイナ・ハイン、スティーヴン・ルーク、
アマンダ・デイ、 アーロン・コートー

ストーリー

  突然発生した原因不明のゾンビ・ウィルスにより、世界は滅びた。ミネソタ州のある街では、生き残った人々が荒れ果てた警察署に立てこもり、元警官のサマーズをリーダーとして絶望的な戦いを続けていた。殺しても殺しても、ゾンビの大群は果てしなく押し寄せてくる。そんなある日、ルークは離れ離れになっていた恋人のベナと再会する。だがその喜びも束の間、ゾンビとの戦いの中でベナが負傷、ウィルスに感染してしまうのだった…。

レビュー

 巨匠ジョージ・A・ロメロの息子、キャメロン・ロメロが関わっているゾンビ映画というだけで俺みたいなロメロの狂信者は「親の七光りヒャッホー!と無条件でDVDを購入してしまうのだが、別にキャメロン・ロメロは親父の残した功績をリスペクトして自分でゾンビ映画を撮ったわけではなく、ただ単に名も知らぬ映画監督のゾンビ映画をプロデュースしただけの話である。もっとも、彼がメガホンを握ったところで無茶苦茶面白いゾンビ映画が誕生しないであろうことは「悪魔のいけにえ」無難にパクったマッドネス・ヒル」の凡庸な出来を見れば明らかなので、彼はこのままプロデューサー業で生きていくのが正解なのかもしれない。

 事実、本作はあの「マッドネス・ヒル」よりも遥かに光るところのある映画である。キャメロン・ロメロの意向が何処までシナリオに反映されているのかは不明だが、軍人が警護する生存者施設という序盤の舞台設定は死霊のえじき」をほんの少しだけ彷彿とさせるし、ゾンビのうろつく墓場の登場や終盤の一軒家を死守する攻防戦はナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の遺伝子を微量ながら感じさせる。キャストに「死霊創世紀」のトニー・トッドがいる点もきっと親父のゾンビ映画に対するオマージュなのだろうと信じたい。「死霊創世紀」の監督はトム・サビーニだし、ゾンビ映画に避難所や墓場が出てくるのは日常茶飯事だろという鋭いツッコミはどうかご勘弁願いたい。

 ところが、この映画には視聴者のロメロ愛だけでは到底乗り切ることの出来ない重大な欠陥があり、それはとにかく全体的に説明不足であるという点に尽きる。無駄に多く登場するキャラは主人公含めてバックボーンが一切明らかにされないし、何故かどいつもこいつも「バイオハザード」のミラジョボみたいなキレッキレの体術でゾンビを屠っていくし、敵として君臨するゾンビを操る謎の眼帯女はマジで何も明らかにされないまま中盤で呆気なく死ぬしで、まるで「ウォーキング・デッド」をいきなりシーズン4の第5話あたりから見ているかのような置いてきぼり感を食らう。確かにゾンビ映画というのは説明不足なジャンルであるが、ゾンビが場面によって歩いたり走ったりしている本作を見ているとそもそも設定なんて最初から考えていないんじゃないかという気さえしてくる。

 とはいえ、この映画最大の魅力は何と言っても結末のインパクトに尽きるだろう。コンバインでゾンビをミンチにしながら「コンバインとゾンビでゾンバインだね!と仕様もないダジャレを飛ばすお気楽能天気なクライマックスのゾンビ退治から、突如として奈落の底に突き落とすかのような衝撃のバッドエンド映画の印象を大きく変える程のインパクトを持っており、この結末の尖り具合だけは唯一「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のラストに匹敵していると言っても過言ではない。このアイデア自体はフランク・ダラボンの「ミスト」の結末をゾンビ映画風にアレンジしたと考えて間違いないのだろうが、ゲーム感覚で次々とゾンビを倒していくアクション・ゾンビ作品の強烈なアンチテーゼにもなっており、恐らく製作者はこの結末を先に思い付き、後から適当にシナリオを継ぎ足していったのだろうと推測される。もう少し時間を掛けて真面目に脚本をブラッシュアップしていればファンの間で長く語り継がれるゾンビ作品になっていたのかもしれない。

 

ゾンビ+コンバイン=ゾンバイン!!

 

前代未聞の結末は必見

 

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