デッド・ウォーカー

監督:フランチェスコ・ピコーネ

脚本:フランチェスコ・ピコーネ

製作:ウーヴェ・ボル、マルコ・リストーリ、
ルカ・ボーニ

出演:ロベルタ・スパルタ、アーロン・スティールストラ、
マリウス・ビザウ、マイケル・シーガル

ストーリー

 謎のウィルスが蔓延し、瞬く間に荒廃した街。感染者は凶暴なゾンビへと変貌を遂げ、大群となって次々に人間を襲っていた。夫と娘を失いながらも間一髪で逃げ出すことに成功した妊婦のアリスは、途方に暮れ街を彷徨っていた。その後、非感染者のスティーヴンと、妹を守り切れず悲しみに打ちひしがれるピーターと遭遇し、3人は行動を共にする。だが、安全な場所を求めて逃げ続けてもなお、ゾンビの大群が押し寄せるのは時間の問題だった。ある時、車のラジオから、“非感染者用のフェリーが出るので港に急げ”と放送を耳にしたアリスとスティーヴン。信憑性に欠けると否定的なピーターをよそに、かすかな希望と期待を胸に港を目指そうとしていた。しかし出発の朝、ピーターは自らの首を吊り、この世を去っていた。出発前夜、ピーターに一体何が起きたのか?絶望的な状況下で、残された2人に未来は訪れるのか―!?

レビュー

 「ハウス・オブ・ザ・デッド」1本で世界中のゾンビ映画ファンから干されたウーヴェ・ボルが超科学実験体ゾンビロイド」に続いて懲りずにプロデュースしたマカロニ・ゾンビ作品。原題は「ANGER OF THE DEAD」なので恐らく「ウォーキング・デッド」人気に便乗してこんな邦題にされてしまったのかと思いきや、海外版のジャケットも思いっきり「ウォーキング・デッド」風味のデザインだし、本編のタイトルバックも「ウォーキング・デッド」のオープニングの悪質なコピーのような映像と音楽が流れる。ストーリーもゾンビとの戦いがメインというよりは、生存者と独裁者の争いに終始している感があり、挙げ句の果てにはバットで人間の頭をグチャグチャにするシーンで出てくる始末。ここまでくると言い逃れの出来ないレベルで「ウォーキング・デッド」のパクリであるが、製作陣は更にとんでもない映画を強引に悪魔合体させてくる。

 突如発生したゾンビから逃げ惑うヒロインの逃走劇は早々に打ち切られ、物語は唐突に4ヶ月後へと飛ぶ。何やら地下のような場所で監禁されているヒロインとは別の女性。鎖で繋がれた彼女は男にぶん殴られたり、メスで腹を切開されたり、直接的描写は避けているが、どうやらレイプまでされている模様。リンダ・ブレアが吐いたゲロみたいな食事を毎日食わされ、次第に衰弱していく彼女であるが、ついに逃走の機会が訪れる。裸足で絶叫しながら道路を疾走する傷だらけの女性。分かる人ならすぐにピンと来るだろうが、フレンチ拷問ホラーの「マーターズ」にそっくりなシークエンスなのである。何でゾンビ映画で「マーターズ」なの?と思っていると、再び映画は最初のヒロインを主人公とした「ウォーキング・デッド」もどきのロードムービーに戻ったりするので酷く混乱させられる。一応、この2つのパートは後半で交わるのだが、本当にただ何となく交わっただけで特に劇的な効果は得られていない。監禁されていた女性はゾンビウイルスの抗体を持った人類の希望となる存在らしいのだが、そんな彼女が独裁者グループに酷い扱いを受けていた理由は全く分からない。単に「マーターズ」に感銘を受けた製作陣が無理矢理そんな展開をぶち込んだだけにしか思えないのである。

 しかしまぁ、思い返せば過去のマカロニゾンビ映画も大半が他国の映画の模倣であったり、勝手な続編だったりしたわけで、そう考えると本作は往年の伝統に則った正しいマカロニゾンビ映画であるとも言えるだろう。映画開始直後にヒロインの幼い娘が呆気なくゾンビに食われたり、独裁者によって少女が無惨にも殺されたりする胸糞の悪いシーンや唯一生き残ったヒロインが新たな暴漢グループに捕まる後味最悪な結末など、映画全体に陰鬱なムードが漂っているのも極めてマカロニゾンビらしい。欲を言えば、ゾンビによるお食事シーンをもっと豪快に描いてほしかったし、女優によるサービスシーンも不足し過ぎている印象を受ける。これら2つが揃っていたら、80年代マカロニゾンビの完璧な再現となっていただけに、ウーヴェ・ボルの力量の無さが本当に悔やまれる。

 

何故か「マーターズ」になる不思議なゾンビ映画

 

夢も希望もない後味最悪な結末

 

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